子供の頃、鏡の向こうには、こちらの世界とは
すべてが反対の、別の世界があるのかも知れない、
などと考えてみたことがある。
反対…つまり、左利きが多数派で、字も反転していて、
時計は左回りにまわる。そんな世界があって、
お互いの世界は、鏡を介して覗きあうことができる。
今、自分が鏡をみている時、向こうの世界では、
向こうの自分が、同じく鏡をみているというわけ。
そういえば、8歳の時、深夜2時に合わせ鏡をして
悪魔の子供を捕まえようとして未遂に終わった。
大人になり、常識なんてモノに囚われだしてから、
なにかをした結果が、面白くない結果に終わることが
増えた気がする。
常識は、退屈という友達を連れてくる。
常識的なものか、やや常識から逸脱するものか、
の二者択一で物事を選択し、
常識的だという理由で前者を選んだ場合、
大抵の場合は、やはり、面白くない結果に終わる。
他のフィルターはさておき、少なくとも、
常識的かどうか、という観点を、
決定をくだすための指針にしてはいけないようだ。
普通はこうだから、
他の人もそうだから、
他人と、世間と同化していないと不安だから、
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」から、
…う~;ん、それも否定はしないけど、
誰も渡らない赤信号を渡るから、得るものが
あるのではなかろうか?
あるいはどうせなら、
「青信号、なぜか渡らず待ってみる」
のほうがまだ面白い結果になりそうだ。
「他人と違うこと」に価値観を見出すほうが、
なにかと得策だと思うのだけども。
いつか、悪魔の子供を捕まえてやる。