神威杏次 official blog

【俳優・脚本・演出家 カムイキョウジのモノローグ】主に、好きな映画の話に絡めて、神威が意味不明なことを書いているブログ。◆映画の話はネタバレご注意◆

生きる場所と死に場所 「レスラー」

映画「レスラー(原題・THE WRESTLER)」を観た。

 

カムイログ

設定とキャスティングを見た時点で「これは面白くないはずはない」と確信。唯一「もしや『ロッキー』みたいな有り得ないサクセスエンドだったら嫌だな」との心配も杞憂に終わるリアリティあふれる脚本。

 

期待通りの傑作。

 

監督は、当初ニコラスケイジ主演で進んでいた話を「どうしてもミッキーロークを使いたい」との希望を曲げず、「それならヒットは期待薄だからこれだけしか出せない。」と製作費を4分の1に減らされた中で強行したらしい。

「なるほど。」と思った。

創った人間がイキザマを押し通して撮った映画だ。そりゃ面白くなるに決まってる。

 

往年はスターレスラーで、今はスーパーでアルバイトをしながら場末のリングに上がるラム(ミッキーローク)と、ラムが想いを寄せるストリッパー・キャシディ。

共に裸一貫で明日なき生活を送る二人の孤独なイキザマに、ラムの娘・ステファニーの、心の孤独が交差してくる。主要登場人物はこの3人だけ。

 

3人ともが、それぞれの孤独と闘っている。

たった3人のメインキャストで飽きさせないのは、ドキュメントフィルム風の手持ち撮影や、ラムなめ(人物の肩・後頭部ごしに主観を見せる)を多用したカメラワークの勝利でしょう。

それにより、観る者は登場人物に感情移入しやすい。

 

主人公と同年代で、おまけに、俳優なんて明日なき商売をやってきた僕らには、自分の人生とオーバーラップする部分が自動的に多くなり、やはり「来る」映画です。

老いとの戦い…。

孤独との戦い…。

「生きるべき場所」を降りた時の現実との戦い…。

虚像として存在する過去の自分自身との戦い‥。

 

そう、レスラーと俳優は「虚像を売る」という意味では非常に似た職業で(特に、カムイのようなキャラクター商品なら尚更)仕事を前にして、美容院で髪型を作ったり日焼けサロンで精悍さを捏造したり…って、僕も20代の頃はまったく同じことしてたから、笑ってしまった。

 

なにより、主人公が死ぬほど感じている「懺悔の念」なんてもう何の説明も必要なく共感できてしまう。。主人公・ラムは娘への言葉の中で「すべては自業自得」と自戒する。好きなことをやってきた道程で、犠牲にしてきたモノ。

 

自分が誰かに対して犯した罪に気づかないまま走り続けた若い頃。

 

それらは、ミッキーロークの人生ともピッタリ合致するということを知って観ている事もあり、娘に謝るシーンの涙なんて、映画の演技の中で、あれほどリアリティ溢れる涙はひさしぶりに見た気がする。

そして、

 

この映画の一番秀逸なところは、「最後まで何も変わらないところ。」

 

主人公が最後の試合に臨む場所の設定も、ロッキーのように「全米が注目する大試合」に突然出ちゃうわけじゃなく、やはり最後も場末のリングだし、娘との関係も…。

唯一、変わった(彼の心の傷を理解できた)のは、やはり同じ類の孤独と戦ってきた^ストリッパー、キャシディだけという設定が、リアルさを際立たせる。

 

端からみたら「晴れ舞台」でも「一世一代の大舞台」でもないけど、本人の心の中では「命を賭けた大一番」なんてことは、現実社会でも良くある。というか、それが普通だから。

ラストシーン。「ここが俺の生きる場所だから」とリングに臨んだ彼にとってそれは同時に「死に場所」だったのか…そうでなかったのかはさておき。

 

「生きるべき場所」と「死ぬべき場所」…

これが同意語であることをあらためて感じた。

 

僕がいつ、どんなシチュエーションで死ぬ事になるかは知らんけど、願わくば、この映画のラストシーンのように死にたい。

 

アタマの中で「METAL HEALTH」を流しながら。