神威杏次 official blog

【俳優・脚本・演出家 カムイキョウジのモノローグ】主に、好きな映画の話に絡めて、神威が意味不明なことを書いているブログ。◆映画の話はネタバレご注意◆

ストックホルム症候群

※2007年10月のブログ記事から抜粋・再掲載。

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ストックホルム症候群

1973年。ストックホルムの銀行を強盗が襲い、人質をとって立て籠もる事件が発生。一週間の篭城の後、人質は無事に解放されたのだが…。事件解決後、周囲を驚かせる出来事が起こる。

 人質たちはなぜか、事情聴取で犯人を擁護する証言をしたり、助けてくれたはずの警察をむしろ敵対視する発言をした。そして、極めつけは人質の女性が犯人と結婚してしまった事。一体なぜ?

 

被害者は当初、命の危険にされされた事で当然「逃げたい」と考える。しかし逃げ出すことができないとわかった後、今度は逆に「犯人と同化しよう」とする心理が働く。

なぜなら「逃げ出す」ことも「同化する」ことも恐怖によって不安定となった自分の心を落ち着かせ、身を守る事に於いては同等な事だからだ。

それが講じて、解放後も人質たちは犯人寄りの心情に囚われたままだった、というわけ。

 

その後、心理学者によってこのような心理の動きを称して「ストックホルム症候群」と名付けられた。

 

非日常なんて不安定な状態に、人間はそう長くは耐えられない。犯人と「同化する」ことで、犯人を「好きになる」ことによって、心の中の矛盾を無理やり解決し、非日常を受け入れ日常に変えようとする。つまり、身を守るために、自分で自分をマインドコントロールしてしまう。閉じ込められた世界での「立派な住人」になるために。

 

それは、そんな異常な環境でなくとも、僕らの生活でも同じこと。

 

ストックホルムの人質たちのように、

その場しのぎの自己暗示がその後の人生を変えてしまうくらい影響を及ぼすのも良くある事。それはそれで否定しない。社会で生きるとはそういう事だから。

 

しかし、そうなると主体は自分ではなく、自動的にその世界の価値観に依存することになる。だから、いずれストレスがたまる。

 

「承認欲求」…

オウム信者が、アサハラに認められたい一心で殺人まで犯してしまったこととか…

スミダが怖いために言いなりになった共犯者たちとか、そんな組織犯罪の図式を語りたいわけではない。

 

異常犯罪に限らず、ストックホルム症候群は、僕らのような普通の人間の日常にも、確実にある。

 

組織に従ずる事、閉鎖された世界で「立派な住人」になること…どちらも悪いことではない。

本文の繰り返しになるが、社会で生きていくとはそういう事だし、置かれた環境によって個人の思想や生き方が大きく変わるのも、至極当然のことだから。

 

戦争、宗教、刑務所…その中で生き甲斐を見出し過ぎて、そこでしか生きることができなくなった人たちもいる。

 

依存を否定したいわけでもない。

 

僕ら無力な人間が生きるには、なにかに頼ってなにかに依存して生きるしか方法はない…と言ってしまっても過言ではない。

 

しかし…少なくとも、そんな状態にある自分自身を「おれ、今、ストックホルムってるな…」と認識できるくらいの客観性は欲しいと思うわけです。

 

周りを見渡して、単なる承認要求のために行動している自分に、最低限、気づく必要はある。

 

本音から…心底…ある特定の価値観に依存してしまうのは、個々にとって危険なことだ。

 

なにが危険かというと、仮に、信じていた価値観が崩壊した時、どうしていいか自分では判断できなくなる。依存していた大きなものが間違っていた時、個々の存在さえも否定されたようなショックを受けることになる。また、巨大な価値観ほど、抵抗が多い分、ちょっとしたことで全否定される可能性も高い。そこに依存するのは危険。

 

状況が許さないなら仕方ない。依存する他ない。

 

ならば、いつでもスイッチひとつで「個の自分」に、「自分固有の価値観」に…戻れるだけの精神力を持つことが、せめてもの抵抗か