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神威杏次 official blog

【俳優・脚本・演出家 カムイキョウジのモノローグ】主に、好きな映画の話に絡めて、神威が意味不明なことを書いているブログ。◆映画の話はネタバレご注意◆

仮面 / ペルソナ

【ペルソナ(仮面)】
心理学者・ユングの概念で「己の外的側面」
「シャドウ(影)」と共に有名ですね。

生きていく上で「仮面」は必要。

社交性も仮面のひとつで、自分を抑えて周りを持ち上げるとか。嫌なことでも辛抱して頑張るとか。普通の人が普通にやっていること。

でも、仮面がストレスになるならば、たまには仮面を外して「本来の自分」に戻れば良いのですが、いざ、仮面を外そうとすると「あれ?本来の自分って?」となる場合がある。

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仮面が、いつしか自分に非常に近い位置にあって、本来の自分がわからなくなる。

あるいは、仮面が気に入りすぎて、自ら能動的に、いつでも誰にでも、仮面を被り続けたままの自分で接する。必要でない時まで「自ら好んで」仮面をかぶったままでいようとする。

人は変わるもの。それを成長と呼ぶならそうかも知れない。でも、それが、自分も周りも苦しめる原因になる。

危険なのは…完全に仮面と一体化してしまうこと。

常に「私はこうでなきゃいけない。」という強迫観念が芽生えると、くだらないことで苦しむことになる。

例えば、傍からみたら充分に幸せなのに、本人は幸せを感じることができていない、という現象は良く見かけます。それもきっと、仮面の功罪。

とはいえ…そもそも「本来の自分」なんてものを理解している人のほうが少ないのでしょうね。人間にとって客観力は最も苦手とする能力ですから。

逆に…仮面を被らないのも問題だとユングさんは言っている。

天然最強。
常に本来の自分のままで生きれば、苦しみは少ないでしょう、本人は。
…周りが苦しむだけで。って、ダメやん。

仮面を被り続けてもダメで、被らないのもダメで…じゃあどうしろと?いう話ですが。

必要なのは達観性。
「今の自分の顔は仮面である」と認識すること。そのためには基準となる「本来の自分」を定義しなきゃいけないのだけども、ひとつの方法としては、例えば、30代以上であれば、20代前半あたりを共に過ごした旧友と会う。これ、割と効果が高い。

もし本当に「自分自身に会う」ことができたら、話は早いのだけど…。

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以下は、そんな映画、

「仮面/ペルソナ」のお話。
(原題:persona 1966)


あらすじ

精神的な原因で失語症になり、舞台でセリフが言えなくなった女優のエリザベートと、彼女の看護についたアルマ。二人は、治療のためにリゾート地の別荘に移る。

全編、ひたすら語り続けるアルマと、ほとんど言葉を発しないエリザベートの二人芝居。

エリザベートの治療のために、自分について語り続けるアルマだったが、いつしか看護士という仮面が外れたアルマは、自身の内面の恥ずかしい部分までもを赤裸々に語りだし、泣いたりわめいたり「なんで私ばかり喋ってんのさ!いい加減になんか喋れ!」とエリザベートに食ってかかったり…完全にぶっ壊れてしまいます。

それでも、頑なに口を閉ざしたままのエリザベート。

最終的に喧嘩別れをする二人。

それでも…エリザベートは街に戻り女優に復帰する。かたやアルマもまた、どこか吹っ切れた表情で街に戻るバスに乗り込む。

THE END
× × × ×

どちらが実在して、どちらが幻想なのか?

つまり、本当は一人しか存在しないという説。あるいは、ふたりとも実在する説。どうにでもとれる見せ方が、ファンの間で論議を呼んだ古典的名作。

仮面を外し、封印していた自分自身と対峙することで、苦しみから解放され、また仮面を被る決意を持てたというわけ。

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この映画、とにかく「難解」と言われてるのだけど、僕にはむしろ非常にシンプルに思える。というのも、どう考えても、脚本のベースがユングのペルソナだから。タイトルそのままだし。それなら、二人が「外的側面」と「内的側面」の役割を担っているのは明白。

「どちらが実在するのか?」は、単なる設定の問題に過ぎず、作り手側からすれば、さほど重要ではない。どっちでもいい。「どっちでもいい」ことを「どっちだ?」と考えるとわからないのは当たり前。「どっちでもいい」が答えなのだから。

つまり夢オチであって、昔の演劇でよくあった、一切の説明をしないまま終わるという…今となっては時代遅れな手法。同じテを使った「ファイトクラブ」では最後にネタばらしをしていて、より現代的と言える。

監督はイングマール・ベルイマンと云う変態な人。主演女優ふたりのうち、ほぼ全編ひとりでしゃべり続けるというビビ・アンデショーンが圧巻。かたやリブ・ウルマンは見事にしゃべりません。極端な二人の演技合戦は見応えアリです。

製作は1966年。カムイ2歳。ばぶー。