僕らは「失う」ことへの準備が苦手だ。
人生とは失うこと。
生きるとは喪失を繰り返すこと。
わかっちゃいるけど…。
実際に失うまでは、なにもわからない。
どれだけ心の準備をしているつもりでも、いざそうなると、実は、なんの準備もできていなかったことを思い知らされる。いや、準備なんてすることが無理だったとわかる。
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そうなって初めてわかるのだから。
自分がどうなるか。
悲しみ、絶望とはそういうものだ。
別離、富や名声の凋落…あまりに強烈な喪失感と、そこから雪崩式に襲ってくる現象は、想像以上に手強い。それにより、さらに大事なものまでも手放すことになる悪循環さえある。
なにより怖いのは、心の準備さえなく突然襲い掛かる喪失。事故で妻と子供が…なんて、考えただけで恐ろしい。
幸せも絶望も紙一重。
こればかりはどうしようもない。
かといって、そこまで想定して生きろと言われても息苦い。
「心配事の90%は起こらない。」の法則はきっと正しい。
せめてできるのは、いま在るものに、いま傍らにいるひとに、感謝の気持ちを忘れないこと。ただそれだけ。
× × ×
それにしても、皮肉にできているなぁと思うのは、問題は「ない」ではなく「なくなる」だと云うこと。
最初から手に入れることなく生きていれば。「ない」ことが当たり前であれば、さほど悲しみを感じないはずだ。
一度は手に入れたものを喪失することに人は苦しむ。
「こんなことなら、あのあらしの夜に出会わなきゃよかったんだ!」的な。
ピヨハラが、引退後も富と名声を忘れられずクスリに走ったのもそう。傍からみたら「甘い」「一般と比べたら、全然、幸せなくせに。」となる。でも、本人の苦しみや喪失感は、きっと周りにはわからない。
そこに一番の不幸がある。
グリーフワーク(強烈な悲しみから立ち直る作業)関連の記事によると、家族との死別の場合、立ち直るまでの期間は、配偶者で1~2年、自分の子供で3~5年…とか
場合によっては、もっと長く立ち直れないままの人もいるだろう。
この期間は、本人はともかく周りの人間にとっては長い。周りも、さすがに気を遣い続けるのはきつい。「いい加減にしろ。前を見ろ。」となる。
とはいえ、いくら時間が経過しても癒えないものは癒えない。
でも、立ち直らないことは許されない。
好きな言葉があります。
『LIFE GOES ON…』
それでも人生は続く。
× × × ×
21グラム(原題:21grams 2003年)
ポールは余命1か月と宣告され心臓のドナーを待つ日々。夫と二人の幼い娘と幸せな生活を送るクリスティーナ。前科を持つジャックは神への信仰を生きがいに妻と二人の子供と暮らしていた。
出会うはずのない3人が、ジャック起こした交通事故をきっかけに複雑に絡み合い…。
壮絶な、3つの家族の物語。
カムイ5本指。