神威杏次 official blog

【俳優・脚本・演出家 カムイキョウジのモノローグ】主に、好きな映画の話に絡めて、神威が意味不明なことを書いているブログ。◆映画の話はネタバレご注意◆

みんな本を読まずに本の批評だけを読んでいる。

なんだろう、今の監視社会は。

ニュースに登場する関係のない誰かに、みんなで一斉に腹立ててる。

 

異様としかいいようがない。

 

「みんな、本を読まずに本の批評だけを読んでいる。」

<広告>

 

 

↓この映画に出てきたセリフです。

 ====

「最終目的地」

(原題:、The City of Your Final Destination 2009 アメリカ)

 

好きな女優、シャルロット・ゲンズブールに、真田広之さんも出ているという事で観た。

 

◆あらすじ

 

大学で文学教師として働く青年オマーは、自殺した作家の伝記執筆を願っていたが作家の遺族から拒絶されていた。オマーは亡き作家が暮らしていた南米ウルグアイへと向かう。そこでは作家の兄のアダム(アンソニー・ホプキンス)が、妻のキャロライン、愛人アーデン(シャルロット・ゲンズブール)とその幼い娘ポーシャ、ゲイの恋人ピート(真田広之)と、奇妙な共同生活を送っていた。オマーは彼らから伝記執筆の許しをもらうために、しばらくの間共に過ごすことにする。

 ====

シャルロット・ゲンズブールが「アンチクライスト」「ニンフォマニアック」で魅せた狂気を温存して普通の女優さんやってます。普通にすると普通に魅力的な人です。

 

真田広之さんが、アクションでも忍者でもなく、こんな文学的な映画で流暢な英語のセリフをこなされています。

 

結末が総ハッピーエンドだと書いても、ネタバレにはならないでしょう。

 

特に細かいストーリはあまりなく、必要最低限の展開とと心地よい雰囲気で、淡々とその世界観を描いていき、最後に一気に着地点に向けて動き出します。

 

「しばらく居てくれていいわ。この世に私たちだけしかいないと思い始めていたところだから。」

 

閉鎖的な田舎町に突然来訪したオマーに、妻・キャロラインがいったセリフ。

 

もうこの先、大きく変わることがないかも知れない。薄々そう思いながら過ごしていた彼らの中に、異分子であるオマーが入ることで、完全に固定化していた状況に一石を投じる結果となり、それぞれが「次の人生」に向けて歩を進めるきっかけになる。簡単にいえばそんな映画。

 

アンソニー・ホプキンスは、妻と愛人とゲイの愛人と同時に同棲しているという、普通に考えたらおかしい暮らしをしているのですが、その理由を深く語るシーンはない。彼が誰かに言ったセリフ。

 

「みんな、本を読まずに、本の批評ばかりを読んでいる。」

 

一見、奇妙な関係を受け入れながら暮らしていた彼らだったが、そこには、当然、少なからず歪みがあり、それがやがて肥大化していくことは、ほんの少し、周りより長く生きている人間がみたら充分に想像がつく。

 

おそらく、オマーの来訪がなければ、きっと、いずれ全員に不幸が訪れていたであろうことは、映画の後半で暗示されています。

 

結果的に、その前に全員が救われて映画は終わる。

 

といっても、オマーがなにかをすごく頑張って彼らを救ったというわけではない。彼はただ、登場人物のひとりとして、彼らの「世界」に入っただけ。

 

必要なのは「ちょっとしたこと」なんだ。すべてに置いて。

 

唯一、愛人の次は不倫という、どこまでも都合のいい女気質のゲンズブールだけは切ない結末になると思われたけども、彼女にもまた、やり直すチャンスが与えられる。

 

びっくりするような展開は一切ないけども、良質な、暖かい映画でした。

 

一点「最終目的地」という題名だけは違和感がある。きっと生きている限り、すべての意味で「最終」なんてことはないから。

 

==============

 

人間関係とは、誰かとの共同生活とは、複雑で、でも確固で、でも常に危うさをまといながら進んでいくもの。

 

不倫だってあるわ。そりゃ。

男と女なんだから。

 

いずれ本人が自然に罰を受けるのだから、関係のない人間が罰を与える類のものではない。自然に過ちにきづいて、本人が修正すればいい。

 

過ちを修正できないまま、一見、普通に生きているように見えても、この映画のように「ちょっとしたこと」から、劇的に修正に向かって動き出す。人間の行動特性って、きっとそんな感じなんだけど、本人がそのチャンスを掴む前に、周りが潰しにかかるのが、今の風潮。

 

どんだけ他人の不幸が嬉しいのさ。

 

そういえば、映画は2009年製作なんだけど、携帯やスマホは一切出てこない。田舎町の、昔ながらの村社会の中で、余計な情報は一切入ってこない中で、しっかりと自分たちの幸せを考えながら生きている人たち。

 

それが、本来の人間の生きる姿なのでしょう。