神威杏次 official blog

【俳優・映画監督・脚本家 カムイキョウジのモノローグ】

歳をとると時間の経過が早く感じられるのは何故?時間は平等ではないという話

【特殊相対性理論では、ある速度で動いている観測者の時計の進み方は、それより遅い速度か静止している観測者の時計よりも進み方が遅くなることが予言され、実験的に確認されている。一般相対性理論では、強い重力場にいる観測者は、それより弱い重力場にいる観測者よりも時計の進み方が遅い。】

  高層ビルの上に住んでいる人と、一階に住んでいる人では、一階のほうがわずかに重力が強いから、上に住んでいる人よりも少しだけ歳をとるのが遅い。ということになる。

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  宇宙で、光の速度で一年くらい走り回ったら、その間に地球は十年くらい時間が経過している。理論上、タイムスリップは未来への一方通行であれば可能。ということになる。

  などど、噛み砕いて説明されたらなんとなく意味はわかりますが、アホな僕にはアインの言うことの半分も理解できません。

 「時間は平等ではない。」

 うん、それはわかる。

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 …なんて話からボーッと考えたこと…、

 「歳をとると時間がたつのが早い。」というのは良く言われることで、ある程度の年齢の人、本当に全員がそう言います。全員が同じことを言うんだから、なにか原因があるのでしょう。

  記憶量の問題…というひともいる。

時間経過は年齢と反比例する…いや、年齢だけの問題か?…などと考えだした結果。

  たとえば、20代や30代の頃、映画の撮影に入ると、時には一ヶ月くらい「毎朝4時起き⇒深夜帰宅」が続くことがありました。そうなると、もう頭の中は、今日の撮影のこと、次の日の撮影のこと、せいぜい来週の撮影のこと…この辺で容量いっぱい。

  そういえば、最初に自分の会社を創った時も、とにかくまずは目の前にでやるべきことがありすぎて、一年くらい休みもなく、ほとんど寝ていないのに気持ちはまったく疲れない…とか。

  そんな時って、やはり、一日がとてつもなく長い。

 長く感じる…のではなく、きっと本当に長い。

  一日一日は、むしろアッという間で、やることが多すぎて時間が足りない!と感じてはいるのだけど、全体としては、とんでもなく長い期間に思える。

  きっとその間、その空間にいる人間は、あまり歳をとらないんだと思います。本当に時間の経過が遅くなってるのです。そんなこんなが積み重なって、戸籍上の年齢は「48歳と五カ月」だとしても、実際の身体の年齢は「40歳と二ヶ月」だったりするのではないかと。

  だから、そんなことになる原因はよ!となるわけですが、

 思うに【視点】ではないかと。視点の位置で時間の進み方が変わる。

  七月某日…夏休み中の小学生の視点は、物凄く近いところにあります。九月に始まる新学期のことなんて遠い未来です。宿題なんて将来である八月にやればいい。

  同じく七月某日…あるサラリーマンのおっちゃんの視点は、九月にある部下の結婚式のことや、十二月の会社の決算のこと、プライベートではさらに先、娘が成人式を迎える五年後のこと…なんてところをボーッと見ています。「十年なんてあっちゅう間だ。」と酒を飲んで話します。

  男女のつきあいでも…

 当初は、とにかく一緒にいることが嬉しくて「今夜、なにを食べに行こう」「週末はどこに行こう。」と考えています。視点が割と近くにあります。一週間、一ヶ月が長いです。やがて、視点が徐々に遠くに移動していき、結婚、将来…と想像をはじめます。もちろん、悪いことではないです。当然に必要なことです。ただ、そんな頃から、二人の間での時間経過が早くなっていきます。

  そういえば、つきあいはじめは、毎日、彼氏・彼女の、目、鼻、口…顔のパーツひとつひとつを見ている感覚です。そのうち、彼氏の顔なんて、もはや見飽きてしまい、なんとなく全体像を見るようになります。そのうち、全体像さえロクに見なくなって、後ろ向いたまま「おかえり」とか言い出します。あかんやん。寂しいやん。

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  要は、視点によって、時間経過がまったく違ってくるということ。

 よそ見をしながら歩くと、無意識に視点の方向にずれていってしまいますよね。

 人間は、視点に向かう習性があるわけです。

  で、常に半年後を見て生きていたら…あっというまに半年が経過します。そこが目的地だからです。

  3時間後を見て生きていたらどうでしょうか。おなじくあっというまに3時間が経過します。この場合の半年と3時間には、さほどの違いはないのです。目的地に到着するという意味においては。

  つまり、視点の置き方で、時間の経過をコントロールできるんじゃないの?って話です。

  いや、半年かけずに3時間でかたづけるのがいい。とか、そんなことが言いたいわけではないです。日々、忙しく動くのが必ずしもいいとは限らない。それよりも、丸一日なにもせず、ただ椅子に座って夕暮れを待つ。そっちのほうが幸せを感じるかも知れない。

  幸福感や充実感は人それぞれ。

 どちらが良い悪いではなく…。

  自分の時間の進み方を、自分でコントロールできたら、それは良いことやん?って話。

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誰か今度、アルベルトがなにをいってるのか、僕にわかりやすく教えてください。

 聞いてるうちに飽きたらごめんなさいですが。