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神威杏次 official blog

【俳優・脚本・演出家 カムイキョウジのモノローグ】主に、好きな映画の話に絡めて、神威が意味不明なことを書いているブログ。◆映画の話はネタバレご注意◆

NOT GUILTY「12人の怒れる男」

18歳の少年に死刑判決が下されようとしていた。被告が貧困層の少年であること、前科があること、あいつならやりかねないとの決めつけ、民族的な偏見、弁護人の職務放棄、充分な検証なく進められた裁判の結果。

少年の命は、12人の陪審員の全員一致による評決に委ねられたが、12人のうち1人が無罪と言い出したことから、5分で終わると思われた会合は思いもよらない白熱の議論に…。


「十二人の怒れる男」
(原題:12 Angry Men)1957

言わずもがなの名作ですが、CSで放送があったのでなんとなく観直していたら…

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メディアによる情報操作。 ネット上での私刑の蔓延。偏向報道を信用した一般庶民の代表としてテレビのコメンテーターが発言し、その発言を再びメディアが報道する。
集団リンチの無限ループ。
その間にすっかり洗脳されていく視聴者。

推定無罪の原則を無視したような昨今のメディア手法は「十二人~」での少年の裁判とさほど変わらない。

陪審員はお互いの名前を名乗ってはいけない。公平性を保つために、極力、匿名性を維持したまま議論を進める。

「今夜はヤンキースの試合を観に行くんだ。さっさとやろうぜ。」

物語の序盤、一人の人間の命を左右する緊張感なんて微塵もない、怠惰な空気が場を支配しているんだけど、それはひとえに「匿名であること」から生まれる無責任さ。

なんとなく流れのままに有罪に投票しても「少年を死刑にした」責任を問われることはないからだ。

「どうせ有罪に決まってる。それでいいじゃん。」

匿名から当然のように発生する無責任、あるいは残酷な意識。

1950年代に「密室内の特異な空間」として描かれた設定は、今、見ると、まるで昨今のネット社会そのもの。

名作というものは、どこかに、未来の問題点を予見するようなテーマが強烈に入っていることが多い。

そんな眼で、ぜひもう一度観てほしい名作です。

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最初に無罪に投票した男の当初の主張はただ一点。

「(有罪か無罪か)わからないから。」

2番目に無罪に寝返った男も同じことを言う。

「有罪かも知れないが、もう少し話を聞きたくなった。」

無罪との確信もないが、かといって有罪の立証が怪しいまま、少年を電気椅子に送るわけにいかない。

そこから、最終的に0対12…オール無罪になるまでの過程が見どころなのですが、ただ、この映画の本当の深さは「無罪になって良かったね。」ではなく「有罪か無罪かは(事実は)結局わからない」ところ。

無罪の少年を電気椅子に送るものマズいが、有罪の殺人犯を無罪にするのも、同じくらいマズいこと。

無罪、ではなく、ノット・ギルティ=有罪ではない。なんだ。ここにもちょっとした制度の闇がある。

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どうでもいいかもですが…

中盤、採決がいよいよ6対6になったとき、例の早く帰りたい野球好きオヤジが

「ちっ!これで延長戦か。」と言います。

これ、なにげないけど好きなセリフです。
一言でこの人のすべてを表しながら、場の空気の説明にもなっている、完成度の高いセリフですね。