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神威杏次 official blog

【俳優・脚本・演出家 カムイキョウジのモノローグ】主に、好きな映画の話に絡めて、神威が意味不明なことを書いているブログ。◆映画の話はネタバレご注意◆

ゴーマンの罪とココロの問題

いつからか…自分以外のすべての人が、同じ顔、同じ声になっていた。

 著書の講演会の仕事で訪れた街。

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  タクシーの運転手もホテルのフロントマンも街行く人々も、全員が同じ顔、同じ声をしている。性別に関係なく決まって野太い男の声だ。

   ホテルの部屋から自宅に電話をかける。妻も子供も同じ声に聞こえる。癒されるはずもない。

  部屋に氷を用意し一人で晩酌を始めるが、どうにも寂しい。寂しすぎて死にそうだ。

 この街には、十年前に「ひどい振り方をした元カノ」が暮らしているはずだ。電話帳から番号がわかった。受話器から聞こえる声はいつもの男声だったが、間違いなく彼女だ。それを確かめるまでに少し時間がかかった。突然の電話に驚く元カノだったが、思い切ってバーに誘うと来てくれると言う。

  彼女が少し太ったことは認識できるが、顔や声は周りと同じ、例の顔と声だ。だから現在の彼女がわからない。どうやら怒らせてしまったようだ。元カノは、モヒート一杯で席を立ち10ドル札をテーブルに叩き付けて帰ってしまった。

  とぼとぼとホテルに戻った。道すがらのアダルトショップで、日本製のダッチワイフを買った。部屋で就寝の準備をしていると、廊下から女の声が聞こえる。女の声!ひさしぶりに聞く女性の声だった。

 あわてて服を着て廊下に飛び出した。必死に走り回り、声の主、リサをみつけた。

 この世にひとりの女神。

  幸い、俺のファンで明日の後援会を聞きに来たらしい。口説いたら了承してくれた。セックスをした。君の声は最高だ。

  翌朝、プロポーズをした。妻とは別れる。君と一緒にいたい。リサも喜んでくれた。

   しかし、リサが食事中にフォークをカチカチ噛む癖が気に障った。口の中に食べ物を入れたまましゃべる仕草が許せない。口頭で注意をした。リサ自身も悪い癖だと自覚していた。

   次の瞬間、女神のはずだったリサの声は、聞きなれた、みんなと同じ、あの忌々しい男の声に変わっていった。

   またしても失望だ。

  彼女もまた「特別に選ばれた人間である有能な俺以外の、その他大勢の無能な人間」に成り下がってしまったんだ。

  自宅に戻った。相変わらず、みんな同じ顔をしている。妻子とも別れよう。こんな奴らみんな嫌いだ。まったく、どいつもこいつも。

  アダルトショップで買った日本製人形だけが残った。人形が機械的に歌う日本の童謡は、女性の声に聞こえた。

 ・・・・

 「アノマリサ」(2016 アメリカ) 

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 題名は「他とは違う特別な女(リサ)」という意味の劇中の造語。

 全編、CGなし、ミニチュア人形をコマ撮りしたストップモーションアニメ。

  監督が「マルコビッチの穴」の脚本家、チャーリー・カウフマンだと聞いたら、アタマおかしい系の映画であるとの想像はつく。そして、期待通りにアタマおかしい。

  1コマずつ、人形やミリ単位で作られた小道具を動かしながら撮る技法は、実写なら一週間で全編撮り終える内容の映画に丸二年かかったとのこと。

  そんな途方もない労力を使って、傲慢な中年男の悲哀と末路を必要以上にリアルに描いた救いようのない話を作る…なんて、

 「アタマおかしい」以外の誉め言葉が出てきません。

 ====

 「傲慢の罪」は、誰もがふとした瞬間に犯してしまいがちな怖さがある。

 表面的に偉そうにしているから傲慢、と思うのは間違いで、表向きの態度や言葉づかいはまったく関係ない。

  傲慢とはもっと根底の部分…ココロの問題。

  わかりやすいところでは、大勢の人間の中に入った時に「特別な力を持った私と、そのほかの下民たち」に感じるようなら相当に重症なのですぐに入院してください。

  そんな構図、絶対にあり得ないので。

  他人が、自分の思う通りの人間でいてくれないと我慢がならない…は、傲慢の最たるモノ。

  私がそこまでしてあげてるのに、どうしてあの人は!も傲慢。

  どうして私の気持ちがわからないの!?も、微妙だけどアウト。

  …と、レベルを微妙なところまで落としてみても、割りと傲慢の範囲って広い事がわかる。

  だから、みんな「ついやっちゃう。」のです。それが傲慢だと気づかずに。

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  人は、言葉で会話をしているようで、実はココロで会話をしている。

  相手のココロを読みとらなければ、何を聞いても理解できないのは当たり前のこと。逆に、ココロが読めた時は、耳で聞いた言葉と正反対の本音さえ聞こえる。ココロを解放しなければ、何を言っても伝わらないのは当然。上辺だけの言葉が届かないのも当たり前。

 そこを逆手にとって、特に何も伝えたくない人に対して、あえてココロを外してコメントするワザは、実は大抵の人が自然に身につけている処世術。

  いろんな意味で、ココロを鍛えること。

  おおいに自戒を込めて…。