神威杏次 official blog

【俳優・脚本・演出家 カムイキョウジのモノローグ】主に、好きな映画の話に絡めて、神威が意味不明なことを書いているブログ。◆映画の話はネタバレご注意◆

滑稽な大人たち 無茶な子供たち

  大人のやることが滑稽に思えた。

タバコなんて臭いモノをどうして吸うの?
ビールなんて変な飲み物をどうして飲むの?
美味しいマグロにワサビを塗ってわざわざマズくして食べるのはなぜ?
首から布をぶら下げるのはなぜ?
なんでカーッ…ペッ!ってやるの?
なんで歯を磨くとオエッってなるの?
ポマードとか臭くて迷惑なんだけど、なんで塗るの?

 どうして、大人ってそういうことするの?

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 子供の頃、果てしない未来への希望と共に、なにか得体の知れない、未来への漠然とした恐怖があった。

 それは、家族や友達という「味方」に対して、他人という「敵」のほうがはるかに数が多い世界で生きていかなきゃいけないと云う単純な「怖さ」だけではなく、 

 あんな、まったく理解に苦しむ行動をする…あの滑稽なオトナという生き物に、自分も成ってしまうのか?という「先が思いやられる感」でもあった。

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「コップ・カー」 原題:COP CAR 2015年 アメリカ

 良質な脚本で、クオリティ高い映画。

 拳銃ドンパチやハラハラドキドキは満載ですが、決して、ハリウッド風味の軽薄なアクション物ではありません。設定もシンプルで、単館上映系の味わいがある傑作。おススメ。

※今回、映画の詳細な内容は書いていませんが、後半で、結末の一部に触れています。

 

あらすじ

家出中の少年、トラヴィスとハリソンは森の中で一台のパトカーを見つける。車内でキーを見つけた二人は大はしゃぎでパトカーを暴走させるのだった。だが、パトカーの持ち主であるクレッツァーは私欲のためなら殺人すら行う悪徳保安官だった。盗んだのが少年二人だと知ったクレッツァーは無線で二人に車を返せと要求する。動揺する二人だったが、さらにトランクの中に縛られた男が入っているのを発見する。

(wikipediaより)

 

 興味本位からオトナの世界に踏み込んでしまった少年二人の冒険劇、と言ってしまうと、スタンド・バイ・ミー的な子供の成長ストーリーを想像しますが、悪徳保安官であるケビン・ベーコンのメチャクチャな人格設定や、子供相手でも容赦しない壊れ具合に、この映画を安易な方向に行かせないぞ、と云う気迫を感じる。

 保安官が森にパトカーを止めていたのは、殺した男の死体を埋めるためであり、さらに、トランクの中には、謎の男が閉じ込められていた。しかし、トランクの中の男ごとパトカーは盗まれた。盗んだのは悪気のない少年ふたり。

 このあたりの設定は、タランティーノ風「ちょっとふざけた犯罪モノ」の匂いがプンプンして個人的に大好物です。

 ケビン・ベーコンの奔走ぶりは、その行動原理が読めない子供から見れば「滑稽」であり「意味不明」。

 かたや、閉じ込められたクルマから脱出しようと、持っていた拳銃をドアガラスに投げつけるとか、少年二人の行動は、ひたすら危なっかしい。

 前半から中盤のハラハラドキドキな展開は、誰が観ても普通に「面白い」はずです。

 ただ、最後の展開と結末はちょっとしたリトマス試験紙になっています。つまり、観る人によって評価や捉え方が変わる。

 万事解決良かったね♪なハート・ウォーミングでは終わりません。そんな映画ならカムイがブログに書きません。かといって、バッド・エンドでもない。ハッピーでもバッドでもない、あえて言うなら「普通の現実で終わる」。普通の、当然の、結末が描かれている。

 そこが、この脚本を「良質」と感じた理由でもある。

 

 少年たちは、これからの長い人生、自分の行動から得たもの、失くしたもの、経験を通して感じながら、生きるという意味を知っていくのだろう。

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 拳銃をクルマのガラス窓に投げつけてガラスを割ろうとする行為は、ガラスを割ることができるかも知れないという希望と同時に、銃が暴発するかも知れない危険とも背中合わせだ。裏目に出た場合のことを瞬時に想像できてしまう大人と、そんなことは考えもせず、とにかくガラスを割ろうとする子供。どちらがいいとは限らない。結果がどう出るかもわからない。

 そんなこともこんなことも、良い想いも、痛い想いも、さんざっぱら経験してきて、僕たちは、普通に「滑稽なオトナ」になった。

 時には
「銃が暴発するかも知れない」なんてことも忘れて…「ガラスを割りたい」という強い想いに身を委ねてみることも、きっと大事なことなんだ。