神威杏次 official blog

【俳優・脚本・演出家 カムイキョウジのモノローグ】主に、好きな映画の話に絡めて、神威が意味不明なことを書いているブログ。◆映画の話はネタバレご注意◆

キングコングとエマ・ストーン

 予告編に出てきたキングコングの顔とエマ・ストーンのどアップ顔が、僕には同じに見えた。

 エマ・ストーンがキングコングに似てるという話ではない。IMAXのスクリーンの話と、話題の「ラ・ラ・ランド」を観たって話。

(ブログ後半はネタバレありです。途中までは大丈夫。)

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『IMAX』(英: IMAX)は、カナダのIMAX社(アイマックス・コーポレーション)が開発した動画フィルムの規格及びその映写システムである。通常の映画で使用されるフィルムよりも大きなサイズの映像を記録・上映出来る。(wikipediaより)

 壁一面がスクリーンなのですよ、上から下まで。

 さらに劇場の一番前の席で観たこともあり、画面全体を同時には見れないのです。字幕を読むのに下を向き、右側の人を見てると左側の人が見えないから、あっちゃこっちゃ視線を移動させる必要がある。全体を俯瞰できないのです。

 「どこを見ようか」主体的に考えながら観なきゃいけない。
 普通の生活だと、人間の眼の機能により自動的に「焦点を合わせているところにピントが合って周りはぼやけて見える」わけですよね。そして、元々映画は「こっちを見てね」とばかり、焦点を決めて周りをぼやかしてあります。
 そこで主体的に「どこを見るか」決めて見ていると、その部分が急にぼやけてきて非常に眼が疲れるという現象が何度も起こる。従来のスクリーンだと、全体を見ているから自然にピントが合う方に眼がいって疲れないんですね。

 あとは、画面の端にいるビキニの女の人を凝視している間に字幕を読み損ねたことが二度あった。それはビキニを凝視するほうが悪い。

 映画に物理的な迫力って必要だろうか?
 本編上映前の予告で、キングコングの顔を画面から飛び出す勢いで見ても、ただ「全体が見えない」ストレスになるだけなんです。「ラ・ラ・ランド」本編内でのエマ・ストーンのアップと、なんら意味は変わらない。大きすぎて良く見えない。
 アクション映画は、現場でも「迫力あるように撮ろう」と頑張っているわけで、映画に迫力は必要で、その意味じゃ目指している方向は同じなのですが、それは、画面の大きさなどの物理的な方法でどうにかすることではない。それはもはや映画じゃなく、アトラクションになってしまう。

 とはいえWEBやホーム・シアターと差異をつけて劇場に足を運ばせるためには良い試みだと思います。もちろん、作っている人たちは「それにより失うなにか」を重々承知のうえで、新しい試みに挑戦しているのでしょう。

 なにかを得ようとするとなにかを失う。

それは、IMAXだけでなく「ラ・ラ・ランド」の内容ともシンクロするお話。

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「ラ・ラ・ランド」
2016年 アメリカ

※ネタバレなしに書けない話なので、ネタバレあります。

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 ひとまず、あのオープニングは驚愕です。本当にすごい長廻しで、ネット情報によるとCGIではなく本当にカメラが移動して撮ったとのこと。さすがに完全にノーCGIではないと思うけど、それさえ「どうせCGIでしょ?と思われてしまう」のはあきらかにマイナス要因。そんなものがない時代なら、素直に絶賛できるのです。CGIじゃないという情報を知ってから「そうなの?それなら凄い!」となる。CGIの功罪としか言いようがない。

 そんなこと「どっちでもいい」と素直に楽しめば「渋滞」が「夢を追う人たち」のメタファーになっていて、星の数ほどいる夢を追う人たちの中から抜け出そうとしている二人…を現した良いシーンです。

 正直、この映画の評価はみなさん「微妙」なところ。賛否両論あるみたいですね。僕も決して絶賛ではないと思います。でも、こういう映画があっていいと思います。

 「あの時、ああしたら」「ああしなかったら」…仮定の空想は本当に切ない。時に、生きる気力を奪うくらい切ないもの。

 ラストのライアン・ゴズリングの「彼女とずっと暮らしていたらこうなった」のくだりは、かなり切ないと同時に、見ている間は「女は割り切る。男は引きずる」という定番の構図に感じて、もしや、ビッグになった女を捨ててしまった後悔?…だったら随分と情けない終わり方になっちゃうよ?と心配になったのだけど。その後の、ライアンの最後の微笑みで、それが単純な後悔の念ではないと思えて安心しました。

 この映画が、切ないけど人に優しいところは「どっちを選んでも、幸せになっている」設定。なにせ夢が叶っているので。

    そのうえで、成功することが、夢を叶えることだけが幸せではない。というメッセージか。成功はそりゃ素晴らしいけど、なにかに固執する必要はないよと。途中で他の道を選んでも、そこで頑張れば幸せは手に入ると。そんな優しい話。

 でも、テーマはいいとして、物語としての起伏や深みはさほどなく陳腐。そこをミュージカルという形に頼って逃げている感はある。でも、楽しめるから、これはこれで良いのでしょう。ミュージカルとはそういうものだと思ってます。アキラメといえばアキラメ。「これはミュージカルだから。」それでいい。