先日、ジムのプールサイドに座っていたら、頭の中を「太陽がいっぱい」の旋律が流れた。もちろんあの「太陽がいっぱい」です。
ルネ・クレマン監督で作曲はニーノ・ロータ。
ちなみに、日本語の歌詞がついてました。
「太陽がいっぱい」を繰り返し観たのは小学生の頃。
20歳を過ぎてからは、一回くらい見直した程度か。奥深いテーマなんてわからず、感性だけで映画を観ていたあの頃から、およそ30年も経過したある日、突然、頭の中に主題歌が流れる。
途中の細かいセリフなんて覚えてなくても、あの有名なラストシーンだけが脳裏に焼きついている。
作り手が本当に観せたいのは、観てほしいのは「こんな絵を撮りたい」と思う、ワンカカットに違いない。また、映画とはそうあるべきだ。
僕らの日常も同じような気がする。
あるワンシーン・ワンカットを演じるために、他の膨大な時間が存在する。
些細な幸せを感じることのできるワンカットのために、ものすごい労力を使ったりする。
そういうものだ。それでいい。
人生という映画はけっこう長い。
撮り残しているシーンがまだまだ沢山ある。フィルムは後、どれくらい残ってたっけ?かなり余計なシーンを撮ってしまったような気がする。これからも、NGは沢山出すだろう。倉庫には、編集途中のフィルムが散乱している。
最終的なOKカットさえ残せばいい。
余計なフィルムはそろそろ捨ててしまいたい。
ここまで来たら、ストーリーの問題ではない。
あとどれだけ…撮りたいシーンを撮れるか。
ひとついえるのは…
一番撮りたいワンシーンはまだ撮ってない、
それだけは確かだ。