先日、あることで非常にイライラしていたら、
ふと「ストックホルム症候群」を思い出した。
1973年。
ストックホルムの銀行を強盗が襲い、人質をとって立て籠もる事件が発生。
一週間の篭城の後、人質は無事に解放されたのだが…。
事件解決後、周囲を驚かせる出来事が起こる。
人質たちはなぜか、事情聴取で犯人を擁護する証言をしたり、
助けてくれたはずの警察をむしろ敵対視する発言をした。
そして、極めつけは、人質の女性が犯人と結婚してしまった事。
一体なぜ?
被害者は当初、命の危険にされされた事で当然「逃げたい」と考える。
しかし、逃げ出すことができないとわかった後、今度は逆に犯人と
「同化しよう」とする心理が働く。なぜなら「逃げ出す」ことも
「同化する」ことも、恐怖によって不安定となった自分の心を落ち着かせ、
身を守る事に於いては同等な事だからだ。
それが講じて、解放後も人質たちは犯人寄りの心情に囚われたままだった、
というわけだ。
その後、心理学者によって、このような心理の動きを称して
「ストックホルム症候群」と名付けられた。
非日常なんて不安定な状態に、人間はそう長くは耐えられない。
犯人と「同化する」ことで、犯人を「好きになる」ことによって、
心の中の矛盾を無理やり解決し、非日常を受け入れ日常に変えようとする。
つまり、身を守るために、自分で自分をマインドコントロールしてしまう。
置かれた世界での「立派な住人」になるために。
それは、そんな異常な環境でなくとも、僕らの生活でも同じこと。
ストックホルムの人質たちのように、その場しのぎの自己暗示が
その後の人生を変えてしまうくらい影響を及ぼすのも良くある事。
それはそれで否定しない。社会で生きるとはそういう事だから。
しかし、そうなると主体は自分ではなく、
自動的にその世界の価値観に依存することになる。
だから、いずれストレスがたまる。
どんな場合も「自分自身」をキープすることが大事なんだろうな。
そうすりゃ、どんな価値観の中に居ても、
そこでなにが起こっても、動じないでいられる。
わかっちゃいるけどイライラする。
まだまだ修行が足りんな。