「ふたりの5つの分かれ路」(原題「5×2」)と云う映画があります。
ある夫婦の出会いから離婚までの間の5ッのシーンを切り取って描写しているのですが、第一章は、離婚の準備をしている険悪な二人のシーン。
そこから…出産…結婚…と遡っていき、最終章は、二人の出会いのエピソードで終わる。
つまり、時間を逆行させる作りになっている。
ドンデン返しはない。脚本上でいうなら一組の男女の関係の崩壊を描いた、ただそれだけの話。もし時系列順に並べたら面白くもなんともない。
しかし…シーンを逆から見せる、ただそれだけの事で、ありがちな物語は、一転、見事なミステリーへと昇華してしまうから不思議。
良く考えると…僕らの日常も、事情を知らない人からみれば、充分にミステリーなわけです。理由を知れば納得するけど、知らないで端からみていると「なんで、そんな選択を?」と思うような行動に見える。映画にして観客にでもみせないことには、本人(たち)にしかわからない理由がちゃんとある。
物語が過去に向って進むにつれ、二人が別れに至った理由があきらかになっていく。
そして、その原因は、直近の出来事だけでなく、もう出会いの段階から、すでに存在していて、新しい恋のトキメキと高揚感に酔った当人たちには見えないだけで、そこに在る、あきらかな「違和感」は、仮に「二人はいずれ別れる」事を知らないで観ていたと
しても、なんとなく感じる事が出来る。
そして、二人はなぜか、その違和感に気づいてからも、それを取り除く努力をほぼ一切しない。新婦など、結婚式の夜に他の男と浮気する。早い段階から、二人の間に愛がなかったことがわかる。これが「心から愛し合っている二人」という設定でも、映画は成立したはずだ。それなら、愛し合ってはいたけど、ちょっとした歯車の歪みから別れる運命に…という、切ない恋愛物語にもなる。
けど、それをしなかったのは、
「はじめから愛はなかった二人」という設定にしたのは、逆説的に「愛とはなんぞや?」の問いかけだろう。結局、心から愛する相手に出会えてはいなかった二人、
その哀しさ、ってところか。
二人が手をつないで海に入っていくラストシーンが美しい。
スクリーンの中…、輝く未来に向って(?)「今」歩き出したばかりの二人と、
すべてを知っている観客との間に流れる微妙な空気。これが儚いんだけど、でも、
不思議なほどに、鑑賞後、悪い気分にならなかったのは、そもそも破局を描いている映画で、登場するエピソードもかなり酷い設定が多いにも関わらず、割りと良い気分になれたのは、このラストシーンがあまりに美しいから。
まさに「映画はラストシーンが命。」なのだ。
もしや「人生も、ラストシーンが命」?
うん、それもまた、そうなのかも知れないと思う。
人生、最後の最後に、最高に美しいシーンに巡り合えれば、
生きてきて良かった…、そう思えるのかも知れない。
願わくば、どちら側から再生しても、
美しいラストシーンで終わる…そう願いたい。