大阪の実家から家族がひとりいなくなった。
パピヨンのナナが死んだ。
12歳くらい…だから、犬としては寿命に近いのだろう。
母はずいぶん前から独り暮らしが長く(今は兄と二人だが)一時期、心身ともにかなり心配な時期があった。12年前、ペットショップで「たまたま目が合った」パピヨンが家に来た。その日から、母は元気を取り戻した。
ナナの死は母からの手紙で知った。
命日から10日後のことだった。
「すぐに電話しなきゃと思ったけど何から話していいのか言葉がでてこなかったから。今は少し気持ちが落ち着いたから、こうして手紙を書いています。思い出すとまた泣いてしまうから、電話はいらないからね。」と。
母は、若い頃、OSK(大阪松竹歌劇団)でトップ女優だった。
両親の猛反対を押し切って、かけおちの末に結婚した父と離婚してからは、飲食店を経営したり、会社役員になったり…良い時期もあったが、今は何もない。波乱万丈の人生といっていい。
祖父と祖母は民謡の家元で、僕が学校から戻ると実家には常に三味線の音が鳴り響いていた。毎日、大勢のお弟子さんがかわるがわる出入りし、お歳暮や年賀状も山ほど届く、賑やかな環境だったが、20年前に祖母が亡くなってから実家は一気に寂しくなった。
にぎやかだった家に、ほとんど人の出入りがなくなった。
今、僕が実家に帰るのは正月の三日間だけだけど、その昔、栄華を誇った城は、大震災のダメージもあり今は見る影もなく、毎年、確実に老朽化していく。
そんな実家の佇まいを見るたびに複雑な想いが去来する。
手紙を呼んで号泣した。
号泣する俺をみて、隣で彼女がキョトンとするほど、突然の号泣。
12年間、母のために生きてくれたナナの死、
母のこれまでの人生、自分自身のこれまでの人生…なんてところまで波及して、さまざまな想いが一気にアタマの中を駆け巡り、しばらく、涙がとめどなく流れ続けた。
ナナが幸せだったのは、母のために生きたこと。
誰かのために、一生をまっとうできたこと。
気持ちが落ち着いてから、母に電話をしたけど、やはり二人とも泣いてしまいどうしようもなかった。
今はただ、母の気力が心配。
「とにかく…頑張って…」
そんな言葉を母にいったのは生まれて初めてだった。
人間にとっても、犬にとっても、唯一つ確かなこと。
いつか死ぬということ。
死に向って生きているという事。
家もまた然り。形あるものはすべて壊れていく。
諸行無常…
人生、束の間の夢…、そう思う。
けど、束の間にしては…ちょっと長すぎる。
(後日追記)
後日談、数か月後、実家にはすでに新しい猫がいて、母はすっかり元気でした。
立ち直り、早っ。