俳優として生きてきた中で、何度か無茶をした記憶があります。
周りから見たらバカとか身の程知らずな行動なんだけど、根底にあるのは、現状を打破したいという純粋な想いゆえ。その時その時は、自分の中には確固たる…どうしてもそうしなければ納得いかない理由があったわけです。。
そんな無茶のひとつ…。
20代の頃…とある映画の現場。その現場は、2ヶ月間ほぼ毎日、朝7時入り→終わりは深夜…という大変なスケジュール。僕を含むレギュラー陣は若くて独身がほとんど
だったから、当然、生活はほったらかしになり、部屋は崩壊します。洗濯する時間もないから、毎日、コンビニで明日の下着と靴下を買って帰るような状況。映画の現場だからスタッフの重労働はいつもの事だけど、俳優陣が全員そこまでキツキツなスケジュールというのは珍しいほう。
まぁ、キツイから、だから楽しかったし、今思えば良い思い出になる。それはそういうものだから、全然問題ないわけですが。
ただ、撮影が終わったあとに問題が発生した。…制作会社が潰れた。
ギャラが支払われない。
そういう時の支払い優先順位として、その時の僕らのような若くて脇役の俳優陣は最後の最後になる。最後どころか、未払いのまま泣き寝入りする場合が多い。
特にテレビで売れているわけでもない、20代のかけだし俳優たちの実情は2ヶ月間毎日働いて1ヶ月の生活費にも足りない程度のギャラだったり、助監督の4番手5番手なんてもっとひどくて、奴隷のように働いて10万とか。「やりたい事をやっているんだから。」「まだまだ修行の途中なのだから」将来のためと云う風潮と、本人の割り切りで成り立っている。もちろん、そんなストイックな状況が俳優修行の一環でもあるだろう。
この時にしても、充分な経験や勉強ををさせてもらったと思うし、監督やスタッフにはもちろん感謝している。それでギャラが出ないといわれても、あきらめれば済むことだ。なにより若い俳優にとっては、そんなことは二の次。次のこと…、例え、財布の中に500円しかなくても、次のこと!を考えているほうが楽しく、有意義だからだ。
ただ、この時だけは、ちょっと腹に据えかねるものがあった。
「使ってあげたんだから、ギャラはなくても納得するだろう。」的な空気。そんな空気が、なぜかこの時だけは許せなかった。
おまけに、その頃、ちょうど僕は所属事務所を変わるところで、暫定的にフリーな状態だった。交渉をするなら、自分でやるしかない。
いや、事務所に居ても、関係なしに自分で動いただろうけど。
何度かOプロデューサーに電話。
「今、払えないから、いついつには払う」という、その場しのぎの回答。Oさんにしても、現場で一緒に苦労した仲間だし、彼に罪はない。上に交渉はしてくれたけど、そんなんほっとけ、とでも言われていたのか?言われた日まで待つ→やはり入金がない…を何度か繰り返す。
「こりゃ絶対に払う気ない」と確信。これもまた「時間を稼いで何度か反故にすれば、そのうちあきらめるんじゃない?」的な思惑を感じてしまい、余計に意地になった。
ある日、ノーアポで制作会社に突撃。ビルの前から電話をするが、誰もでない。
雑居ビルをドアの前まで上がると電気はついてないのだが、ガラスの部分から奥のほうに微かな灯りと人の気配が。あ、居留守だ。
ノック!何度もノック!電話、ノック、電話、ノックの波状攻撃。電話しながらノック、ノックしながら電話‥。
取立て屋か、俺は。
しばらくして、観念したように、Oプロデューサーがドアを開けた。ひとりで残務処理をしていたのであろう。
まず深ぶかとアタマを下げた。
「申し訳ありません。一介の俳優のすることじゃないとわかっています。ただ、役者なんて、使ってやれば喜ぶんだからギャラなんて払わなくても…という風潮が嫌なんです。」と、丁重に話す。ま、簡単にいえば「自分が舐められてるという状況に我慢がならない」ってこと。
Oさんは、本当に申し訳ないという顔をして「来週、Yさん(さらに上のプロデューサー)がいる時に…。」「わかりました。」
翌週、再突撃。今度は、Yプロデューサーが一人で事務所にいた。
あらためて、前回と同じ口上をとくとくと話したが…反応は薄い。Yさんは、あきらかに怒っている。てか、ふてくされている(笑)。「この大変な時に、クソガキが」くらい思っていたんだろう。当然だ。YさんやOさんにも、満額の給料は支払われていないだろうから。
今なら、Yさんの苦労も心境もわかる気はするが、映画制作における現場以外の大変さをまだ知らなかった俺の腹の中は「あんた、ロクに現場に来なかったよな。現場の苦労を知ってんのか?」などと、まさにクソガキなことを思っていた。
Yさんは、自分の財布から(!)有り金を引っ張り出し、僕の前に差し出した。
あきらかに不機嫌に、静かに「今はこれしかないんですよ。」【これで帰れ】ということだ。身のほど知らずの若造の殴り込み(?)をいなす術としては、Yさんの態度は割とカッコよかったけど、結局、そうとしかしようがなかったのだろう。
テーブルに置かれたのは、一万円札が8枚。
僕は、それを受け取り深ぶかとお辞儀をして、事務所を後にした。残りの大半のギャラは未だにもらってないけど、そんなことはどうでもいい。
…後味が悪かった。
少しでもギャラを取ったとか、一矢報いたとか、そんな達成感はなかった。あるのは何か大きなモノに対する失望感。
テレビ局や大手事務所のバックアップで、映画をヒットさせることはできる。でも、根底の部分から改革しないと、日本映画の底辺は薄っぺらいままだ。頑張って才能を開花させる者もいる。ただ、もっと絶対数をあげるには、若者がどんどん飛び込んでくる世界になるには、現実的な問題が多すぎる。
役の大きさや、自分の扱いの事で噛み付いたことは何度もある。マネージャーが決定してきた仕事を断った事は一度ではないし、直接、プロデューサーに電話して結局、撮影前日に役を降りたこともある。
だけど、オカネのことで動いたのは、これが最初で最後だ。
この時の行動が、合っていたか間違っていたかはわからない。この時に限らず、何度かあった無茶な行動すべて、後悔はしていない。何もしなければ山は動かない。現状を打破したいが故の行動だったからだ。それをイキに感じて、次回作で主演クラスの役をくれた人もいる。
良くみかける光景として、俳優同志が居酒屋で酒を飲みながら「事務所が悪い」「マネージャーがどうこう」と愚痴っている姿を見ると「お前、自分で泥かぶって闘ったことあんのか?」といいたくなる程度に、それなりにジタバタしてきたと云う‥最低限の自負はある。