先日のこと。
新宿の路上でバッタリと友人とすれ違った。チラリと顔が見えた瞬間「●●ちゃんに似てるな。」と思ったにも関わらず…素通り。
少し時間がたってから「ん?もしかして?」と思っているとメール着信。「カムイさん、さっき新宿歩いてた?」「やっぱり!?」と笑い話になったわけですが。
6~7年、顔を合わせてなかったという事もあったけども、会ってもわからないくらい変わってたわけではない。
「その時間」に「そこの場所」で「その人」に、まさか会うとは、脳が想定していなかった。だから気づかずに素通りしてしまった。
おまけに、瞬間的に僕の脳にインプットされた情報…
「髪の毛の色が茶色になってて、色っぽくなってたよ。」と言ったら「最近、カラーはしてないよ。」だと。この場合、言いたかったのは「色っぽくなってた」ことであり、髪の毛の色はどうでもいいんだけど、でも、僕の記憶の中では、その娘は完全に茶髪だったのです。ほぼ自信満々に。
あーやっぱり記憶なんて曖昧なものだなぁ、と。
人間の記憶ってアテにならない。
大抵のことを人は思い込みで判断している。
でも、だから人間って生きていられる。
そんなお話。
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人間の眼には、文字通り「盲点」があって、見えていないエリアがある。
とはいえ、視覚はほぼ正確に物を捉えているんだろうけども、視覚が捉えた情報は次の瞬間には記憶に変わる。そこでバイアスがかかる。
カメラのレンズとフィルムの関係。
記憶って、思い出すたびに少しずつ改変されていくという説がある。思い出すたびに、現在の記憶と混ざって、微妙に間違った記憶に変わっていくらしい。
同じ物でも、人によって見え方がまったく違う。あるいは、気分によって違う色に見える。
その赤は本当に赤なのか?…疑ってみることも大事だ。
そんな、人間の能力の不正確さは決して悪い事ではなくて、だから芸術というものが成立する。見えた物ではなく、感じた物を形にできる能力に、人が感銘を受ける。
恋は盲目…も同じこと。
見たくないものは本当に見えないことがある。見たいものだけが見えている。それでいいのだろう。
不正確で曖昧であることが人間の最大の能力だ。
時が解決する…ことは多々ある。というか、大抵のことは時にしか解決できない。これは、忘れるという能力。人間、忘れるということが一番難しいけども。
「事実は忘れないが、感情を忘れていく」
もし、人間がコンピューターのように、感情までも正確にバックアップをとっていたら…。考えただけで恐ろしい。
思うに、理想を言うならば、過去に囚われず「今、こうしたい」と云う感情のおもむくままに行動するのが、正解に近いのではないかと思う。
良い悪いは別として…。