その昔、インターネットは善意で成り立っていた。
初めて触れたインターネットというものに「これ面白い!」と思った連中が、趣味や自己満足でいろんな情報をアップしていた。23時からのテレホタイムが懐かしい時代。あの、いろいろゆる~いけど、でも、デカいパソコンの箱の向こうに世界が見える感覚。妙にドキドキしたのを覚えている。画像一枚を表示するのに3分くらいかかったけども。
<広告>
そして、いつからか頭の良い人たちが、すべてをカネに替えて行った。
都心の一等地に看板を出すのと同等かそれ以上の広告効果をバナーひとつで得ることができるのだから、そりゃ世界が引っくり返る。
そして、広告と云う強力な武器を誰もが簡単に使えるようになり、自称・ネット起業家(志望)が増殖した。
いや、いいんですが。ちょっと増殖しすぎが心配。
そして、そこで教えられている(であろう)事が、ちょっと違ってるように見える。
一歩間違えたらスパムになることも、それが広告手法だと教えられているように見える。
10年くらい前なら、ブログのコメントをくれたり、反応してくれる人は純粋に興味を持ってくれた人だった。それが今や、あからさまに自分のブログを宣伝するために、読んでもいないブログにコピペのコメントを張り付けたり、なにを書いているのか見に行ってみたら、昔からある詐欺まがいの情報商材の記事だったり。あの、下に長~く書かれた洗脳記事ですね。
誰かが嫌がることをしてでも、商品を宣伝するのがスパムならば、そんな手法は、スパムそのもの。しかも、それを企業ではなく、個人が普通にやっていると云うことが怖い。
それが、当然の手法だと思われている現状って、いかがなものか。
フェイスブックなどのSNSも、無料で遊び場を提供して人を集めて、そこで広告収入を得るのはIT企業としてはの当然の手段だけども。いつのまにか、個人までも巻き込んだ広告合戦の場と化していて、「オブラートに包む」意識がなくなったというか、遠慮がなくなっている。「ごめんなさい、実はこれ広告なんです。」ではなく「ウチは、広告のための媒体ですよ。みなさん頑張って宣伝してね。広告枠も買ってね。」になっている。まぁ、それが今の風潮で、当然、そうしようと意図しての戦略なのだろうから、それでいいんでしょうが。
いや、SNSは、僕も個人的に好きだし楽しく使わせてもらってます。
個人的なちょっとした宣伝に使うのも有益だと思う。でも、その「広告っぽさ」は、ちょっと行き過ぎている感はある。もうちょい、少し前の、あの「みんなの遊び場」感覚に戻していいのでは。
そういえば、少し前は、企業は「いかに広告に見せないで広告効果を得るか」を考えていたような気がするんだけど…それはつまり、広告だとわかるとユーザーが警戒するから。テレビで有名人が「これ、おいしい」と言えば、商品が飛ぶように売れる、みたいなことですね。
可愛い犬猫の記事や、心に響く話を集めて、SNSで拡散してもらう…バイラルメディアが全盛だけど、それはまだ、人が興味を持つ記事、コンテンツを提供しているだけ、まだ正当に見える。「ウチは、面白い話題を紹介するサイト(アプリ)ですよ。」という建前を作るのも労力がいるし、実際、面白い記事も多い。それでも、ちょっと数が多すぎて辟易する。
コンテンツがないなら尚更、ただ情報を拡散するだけなら、それもスパムになる。
世の「WEB集客術」って、どうやって大量に情報を流すか、拡散するか、それだけを教えているのかな?…って、そうではないんだろうけど。
商品、コンテンツ、何もないなら人間そのものを…、
魅力ある物にするために頑張る必要があるんでしょうね。
宣伝はそれから…で。