マーロン・ブランド扮する米国軍人・グルーバー少佐は、仲間のケリーと共に神戸に転勤となり、そこで出会った歌劇団の女優・花荻と恋に落ちる。
「サヨナラ」1957年アメリカ映画。
「日本人との交際はご法度」とされている中で、ケリーは既に日本人女性と結婚している。ケリーから、日本の文化と考え方をレクチャーされるうちに、グルーバーも、やがて、日本という国と日本人女性に惚れ込んでいきます。
外国の人からみた変な日本…的な描写はほとんどなく、かなり日本を好意的に撮っている。
劇中の歌劇団のモデルとなっているのはOSK(大阪松竹歌劇団=当時)で、当時、実際に使われていた劇場でロケが行われているらしいのだけど。ちなみに僕の母は、ちょうどこの頃にOSKで女優をやっていまして、計算したら母はこの映画の撮影時・19歳…まさにこの頃、この劇場でこんな感じで歌って踊ってたのか…と云う、個人的な楽しみ方もできてしまった。母はこの映画を知っているのか?今度聞いてみよう。
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文化の記録媒体としても、映画の功績って大きい。
禁断の恋…に苦しむグルーバーとケリーの2組。四人で人形劇を鑑賞する。そこで演じられる「心中」シーン。心中…いうまでもなく、男女が永遠の愛を貫くために一緒に命を絶つと。
それを見て涙する日本人と、納得できない表情を浮かべるアメリカ人。このシーンはわかりやすい。
そして、より日本に傾倒していたケリー夫妻は、心中という道を選ぶ。かたやグルーバーは、最終的には、花荻にアメリカ的「自由」の考えを説いて、二人で殻を破っていくわけですが。
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どうしようもない事が本当にどうしようもなかった時代。
認められない恋の行く末は、心中だったり駆け落ちだったり。
なにがあっても死ぬなんて馬鹿らしい…それが、普通の感覚だろう。でも、その当時の、想いを貫くためなら死をも怖れない。その潔さは、今の日本人が失くしてしまった美学か。
いや、実際には、どこまでが物語の中のお話で、そんな生き方を貫く人がどれくらいいたのか、それは知りませんが。当時の日本人…というか、日本人女性が持っていたストイックな感覚は美しい。
誰もが豊かな生活にしがみつき、命にしがみつき、ガツガツと生きているのが今の世の中だとしたら、自由の国・アメリカを標榜した結果が、今の、これからの格差社会であるならば、
日本人が本来持っていた美学。
美学…なにが美しいのか、俺の、私の、美学ってなんだ?
人間にとって美しさってなんなのか。なにを美しいと感じる?
みんな日々忙しいだろうけども、目の前のことで精一杯だろうけども、たまには打算や計算を忘れて、ふと、自分に問いかけてみることも必要だ。