20年くらい前、撮影現場に出ると、必ず、どこかに知り合いがいた。
俳優だったり、メイクさんだったり、助監督だったり。中には3本くらい続けて同じ現場になる人も。
映画、ドラマに加え、Vシネマが腐るほど作られていた時代だから、その中でそれなりに売れていれば、さほど不思議な話ではない。当時、そんな慣れ親しんだ仲間でさえ、僕は、プライベートの連絡先をなるべく聞かないようにした。「どうせ、また会える」から。
連絡先も聞かずに、クランクアップしたら「じゃまた!」と別れ、当然のように、また違う現場で「まいど」と再会する。そんなスタンスがカッコいいとも思っていた。
仲間と現場で再会するのはなにより嬉しかった。「お互いに頑張ってる」と、確認しあえることが、嬉しかった。
なにかのインタビューで「怖いモノ」を聞かれてこう答えた。
「なにが怖いって『老い』が怖い。」
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時が過ぎ、時代も変わった。僕もそれなりに歳をとった。
facebookで、SNSで、当時の仲間たちと再会をするなんて、当時は考えもしなかったような事も普通になった。
20年前に思っていた「人間、縁があれば、また会える」は間違いではない。ただ、ふと気づく。
「その後、縁がなく、会えなかった人のほうが遥かに多い。」という事に。
そう、一緒に仕事をしたり、なにかを一緒に頑張った仲間でも、統計的にみれば「(結果的に)もう一生会えない」可能性は、けっこう高い。
20年前とは真逆の方向に視点が行く。
最近は、誰かと会った別れ際、「じゃ!」と手を振りながら、心の中で「達者でな。」と言ってるような。なにかしらの覚悟が混ざっている。
いや、悲観してるわけでも嘆いているわけでも、望む望まないでもなく、実際に「結果的にその日が最後に会った日になる」可能性は、歳を重ねるに連れて、当然、増えていく。
どんなに仲の良い相手でも「会うのは今日が最後」になる可能性は常にあるんだ。
そう意識すると、なにかがちょっと変わってくる。
その時、そこにしかない景色の中で、
誰かと、なにかを共有すること。
その素晴らしさを噛みしめて、生きていくべきだ。