僕は「話せばわかる」というのを信じていません。
むしろ余計なことを話せば話すほどわかりあえなくなる場合もある。
ただ、じゃ、会わなきゃいいのか、話さなきゃいいのか、…そういう意味ではござんせん。
むしろ会いましょう。なにも話さなくてもいいから、会いましょう。
言葉よりも、会った時の握手ひとつで、わかりあえることがある。。
「人間会ってナンボ。」会って話して、やっとわかりあえる。昔ながらのこの感覚は、今でも絶対的に健全だと思う。
ただ、それと「話せばわかる」は違う。
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人間、増してや男と女なんて別の生き物で、猫と犬みたいなもの。ワン、ニャー…を聞いて「どうやらこういうことが言いたいらしい。」と頑張って推測するのが精一杯だし、それでいい。お互いが、頑張って相手を理解しよう、受け入れようという姿勢で努力するから心でわかりあえる。
なまじ言葉に頼るから、言葉に惑わされるから、戸惑う。言葉より感情を読み取るべき局面は多い。
だから「話せばわかる」じゃなくて「会えばわかる」
ついでに言うなら「他人の良いところを見るようにしよう。」も厳密には間違いで、正しくは「良いところも悪いところも気にしない」なんだろう。自分好みに相手を変えようなんて傲慢でしかない。
一番危険なのは、会わずに、文字のコミュニケーションだけで立ち入った話をしてしまうことで、自分の経験上でも、メールやラインで誰かとケンカがはじまったら、もうどうしようもない。「やめよう。今から行くから会って話そう。」となる。
昔であればメール、今ならSNS、充分なコミュニケーションがとれない中でシビアな話をすべきではない。その場合の文字は本当に無力。LINEのやりとりが原因でイジメが起こったりするのも必然の流れ。
みんな、そろそろそれがわかっているから、結果、無難な言葉のやりとりでお茶を濁すことしかできなくなっていく。それはそれで、面白くないな~と思う。
デジタルとアナログ、なんて言い方をしますが、どちらも必要だなーと思う昨今。
もし、友達と会って酒でも飲みながら話したことを文字に起こしたら、けっこう酷いことを言い合っていたりもするでしょう。
それでも、相手の目をみて、顔をみて話すことで、まったく問題ない会話になる。
少々の言葉の間違いなんて、大した問題じゃなくなるから。
言葉ではなく、相手の目を見れる場所にさえいれば。