【ペルソナ(仮面)】
心理学者・ユングの概念で「己の外的側面」
「シャドウ(影)」と共に有名ですね。
生きていく上で「仮面」は必要。
社交性も仮面のひとつで、自分を抑えて周りを持ち上げるとか。嫌なことでも辛抱して頑張るとか。普通の人が普通にやっていること。
でも、仮面がストレスになるならば、たまには仮面を外して「本来の自分」に戻れば良いのですが、いざ、仮面を外そうとすると「あれ?本来の自分って?」となる場合がある。
仮面が、いつしか自分に非常に近い位置にあって、本来の自分がわからなくなる。
あるいは、仮面が気に入りすぎて、自ら能動的に、いつでも誰にでも、仮面を被り続けたままの自分で接する。必要でない時まで「自ら好んで」仮面をかぶったままでいようとする。
人は変わるもの。それを成長と呼ぶならそうかも知れない。でも、それが、自分も周りも苦しめる原因になる。
危険なのは…完全に仮面と一体化してしまうこと。
常に「私はこうでなきゃいけない。」という強迫観念が芽生えると、くだらないことで苦しむことになる。
例えば、傍からみたら充分に幸せなのに、本人は幸せを感じることができていない、という現象は良く見かけます。それもきっと、仮面の功罪。
とはいえ…そもそも「本来の自分」なんてものを理解している人のほうが少ないのでしょうね。人間にとって客観力は最も苦手とする能力ですから。
逆に…仮面を被らないのも問題だとユングさんは言っている。
天然最強。
常に本来の自分のままで生きれば、苦しみは少ないでしょう、本人は。
…周りが苦しむだけで。って、ダメやん。
仮面を被り続けてもダメで、被らないのもダメで…じゃあどうしろと?いう話ですが。
必要なのは達観性。
「今の自分の顔は仮面である」と認識すること。そのためには基準となる「本来の自分」を定義しなきゃいけないのだけども、ひとつの方法としては、例えば、30代以上であれば、20代前半あたりを共に過ごした旧友と会う。これ、割と効果が高い。
もし本当に「自分自身に会う」ことができたら、話は早いのだけど…。
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ちなみに、ユングのペルソナそのものの映画↓
「面/ペルソナ」
(原題:persona 1966)