地球というものはひとつで、
世の中の大きな流れはひとつで、
うん、それは間違いないのだけど
人間ひとりひとりに違う世界があって、違う真実がある、それも間違いではない。
そこで…、
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よく、状況が変わったときに「世界の色が変わって見える」などと言います。逆境から好転したときに空が晴れやかに見えるとか。逆に、悪いことが起こって世界が真っ暗に見えるとか。
あれ、本当に晴れやかに見えたり、真っ暗に見えたり、しますよね?
つまり、見る人間の心によって、見える世界が変わる。
それは「すべての事象は、自分自身の内面を映し出しているだけ。答えは、自分自身の中にある」なんてスピリチュアル的なオチでは当たり前すぎるし…
世界が変わって見えるのも、実際には「空はいつも晴れやかだけど、心に余裕がない時は、晴れやかな空を晴れやかと感じる感性が壊れている、だから、晴れやかな空が見えないだけ。」が正解に近いと思うのですが…。
ここはひとつ。
いや!断じて、違う世界を見ているんだ!…で押し通して、思考を進めてみます。
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例えば、僕が二十歳の時にみた渋谷の街と、今、見る渋谷の街は、あきらかに違う色をしています。
それは、僕が変わったからであって、街は何も変わってない。
おそらく、僕が二十歳の時にみた渋谷の街は、今でも存在して、そこに生きている人は(年齢かかわらず)たくさん居るのでしょう。
その場合、二十歳の僕と、今そこにいる人たちは同じ世界に住んでいる。
三十歳の僕と、三十歳だった僕の両親も同じ世界に住んでいる。
だいたいは年齢と経験によって見える世界が変わってくるから、わかりやすく年齢で例えてますが、実際、年齢は関係ない。
「心の場所」の問題。
だから、もし、その時の渋谷に戻りたいならば、いつでも戻れるのかも知れない。自分自身を元に戻せば。特に、そこに戻る気はないけど。
さらに妄想を進めます。
つまり、この世には、数えきれないほどの違う世界が存在して、それらは、一見、同じ世界に見えるけど、細かいところが違っていたり、なにかが大きく違っていたりする。
それぞれの世界の住人と、違う世界の住人は、ある世界ですれ違っているけども、それは、あくまで「通行人」でしかない。もちろん通行人と直接的な接触もできるけども、その人間の本体は、メインの世界で生きていて、メイン以外の世界では、通行人を演じているだけのダミー。
で、複数の世界で、通行人じゃなく、俺は俺でいるぞ!と張り切れば、大変だけど、いくつかの世界に同時に(本体が)存在することもできる。
かなりありがちな話になってきてしまいましたが、つまりは、パラレルワールド的な話がしたいのです。
地球上に、いろんな「世界」が混在していて、僕らは、複数の世界を、半ば無意識に行き来してる。
移動のキーワードは「心」。
人間は、心によって(自分が)見える世界を作り出している…としちゃうとマトリックスだから、作りだすんじゃなく、移動していると。
それぞれの世界には、それぞれの××君、××さん、が存在して、性格も微妙に違う。時には劇的に、別人並みに違う。
つまり、自分の心の持ち方で、周りの人間も、世界も、すべてが違ってくる。がテーマ。
…って、別に、SF映画のプロットを考えたかったわけではない。
第一、そんな既視感丸出しの企画が通るはずもない。
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すいません。
宇宙の中の地球…なんて考えると、あまりにもスケールが違いすぎて、こんな小さな星の小さな常識とはかけ離れた、想像もできないことが、きっとあるに違いない。
俺は中2か。