ただ、ただ生きるため。
捕食者から逃れるため、あるいは捕食しやすくするための「擬態」。
海底で藻(も)と同じガラになってる魚、
木の葉にそっくりな虫、
みんな必死に、ものすごく必死にギタイしているんだけど、そもそも種の保存と繁栄のためとか言いつつ、元々がどんな形の種なのかわからんくらい擬態しちゃったら、種の保存になってないんじゃなかろうか。
ちょっと頑張りすぎ
見た目、完全に藻になっちゃってる魚、ずっとアリのふりをして生きているクモ(で、仲間だと思って寄って来たアリを捕まえるんだと)。
もはや完全に違うもんになっとるやん。
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そのクモは、ずっとアリの恰好をして生き続けて、それでいいのか?と。
お前はクモじゃないのか?と。
それでも、なにより生き続けることに全力を注いでいる。生存本能。
虎の模様にも、しっかり「生きるための」意味がある。
そういえば、僕ら人間も、生きるために擬態し続けているようなもの。
子供のときの夢なんていつしか忘れていて、その時々に居る場所で、捕食に都合のよい色・形になろうと頑張っている。
ふと、あれ?こんな形になりたかったんだっけ?と思ったりしながらも、なにより、まずは生きること。それ大事。
同じだ。
ただ、ただ生きるため。
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ところで、花が美しくて良い香りがするのはなぜか?
その甘い香りで虫を引き寄せて実を食べてもらい、受粉や種子散布を手伝ってもらうため。そのとき、虫は「わ~綺麗~♪」と思って花に近づくのではなく、派手な色をした花は甘い。栄養を持っているに違いないという知識と勘で近づく。
このとき、彼らの世界に「綺麗な花」は存在しない。
「派手な色をした花に近づくと良いことがある」という情報があるだけ。
ただ、動機はさておき、結果的に「頑張って綺麗になってる」のは確かだし、お互いになにかを享受しあってるのだから、それでよいのだろう。
そういえば、
僕ら人間も、花と似たような動機で着飾る。虫と似たような動機で行動する。
同じ。
ただ、ただ生きるため。
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どうしてみんな、そこまでして必死に生きるのか?
それも、野生の動物や植物の生態にヒントがある。
そこまで必死に「生」に執着して、生き抜いた先にあるものは「自己犠牲」。
植物も、動物も、人間も…、
家族のためなら…きっと死ねる。
愛する者のためなら…きっと死ねる。
生きる目的は、生きた意味は、そこで成就する。
誰かを、なにかを守るため。
そうすれば、いつか死ねる。
そこでやっとサラバイだ。