異性を選ぶときに「中身が大事か、見た目が大事か」なんて語り尽くされた話題…。
あらためて考えても、「中身が大事」と「見た目が大事」が明確な反対語ではないから、いくら議論しても答えが出ないわけです。
中身はある程度見た目に出るし、見た目によって中身も変わる。加えて「中身」「見た目」の定義が人によってバラバラだから話が嚙み合わない。
じゃ、そこらの定義を仮定して思考を進めてみると…。
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自分の場合ですが…
「見た目」が「誰がみても美女」という意味なら、見た目はまったく大事ではない。
「見た目」が「自分好みの顔」という意味なら、見た目は物凄く大事。
「中身」が「礼儀正しく常識的な人」という意味なら、中身はまったく大事ではない。
「中身」が「自分と価値観の合う人」という意味なら、中身は物凄く大事。
すべて定義次第なのですね。
だから、定義も確認しないまま「どっち?」と聞かれても答えようがない。
ただ、そこで間違いなく言えるのは「見た目はすぐに確認してもらえるけど、中身を確認してもらう機会はなかなかないよ~。」ってこと。当たり前の話ですが。大抵の人は「見た目(だけ)で判断されたまま終わる」ことが人生の大半であるということ。
選ぶ側の立場で考えると「見た目が特に好みじゃない人の中身を積極的に知りたいとも思わない。」のが普通の感覚だろうから、選ばれたい立場から考えると、中身まで確認してもらうには相応の努力が必要。そうなると、どっちがいい?とは別の話ではあるけど、「見た目が良いほうが得(あるいは「楽」)」なのは間違いない。
「みんな歳をとるから、見た目なんていずれなくなる。だから中身」という論理もちょっと違う。加齢による劣化は誰にも平等にある宿命の話であって「70歳の綾野剛と20歳のガッツ石松、どっちがいい?」なんて聞かれているわけではないんだ。
総合すると「見た目がいいか、中身がいいか」なんて、別にどちらかを選択するようなことでもなくて、その人を構成する要素としてどっちも見てるわけで、最終的には
「総合的な判断により」
「好みかどうか」
それだけのことなんすね。
「審査の経緯についてはお答え致しかねます」なのでしょう。
ちなみに「好き」の反対語は「嫌い」ではなく「興味がない」ですよね。
そこでも「好き」「嫌い」「興味がある」「興味がない」の定義はバラバラでございます。
お見合いで、何度もお互いの性格や条件をつきあわせて「よし。この人なら!」と結婚するのと、最初はお互いにカラダだけが目的で、何度もやってるうちに情が移って中身も確認して「結婚しよう」というのと、最終的にたいした違いはないです。
「理屈じゃない」というミもフタもない結論でひとつ。
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…なんてことを考えたのは、この映画を観たから。
『ビューティ・インサイド』
2015年 韓国
「1人2役」ならぬ「123人1役」なんて、とんでもない設定が面白そうで観たのです。「毎朝、起きたら違う人間になっている」主人公と、彼とつきあうことになったハン・ヒョジュのお話。「人間は見た目か、中身か」なんてテーマになっているようですが、これを観ると、むしろ「やっぱり見た目って超・大事だなー」と思ってしまいました。
そういう意味では大失敗作かも知れません。
詳しくはこっちにボロクソ書きました↓興味あるかたどうぞ。