神威杏次 official blog

【俳優・映画監督・脚本家 カムイキョウジのモノローグ】

がちょ~ん

 例えば正義のヒロインを撮るとします。
そこで、どのシーンを撮って視聴者に見せるかを選択します。
 ヒロインが悪を倒しているところを見せるか、ウンチしているところを見せるか考えます。そのとき、どちらにしろ彼女は正義のヒロインなのですよ。悪を倒してようがウンチをしてようが。
 もちろん、それは正義のヒロインの人気度に大きく影響しますけども。でも、人気があろうがなかろうが彼女は正義のヒロインなのです。

 コーヒーカップがペン立てとして使われようと、一度もコーヒーを注がれたことがなくったって、コーヒーカップはコーヒーカップであるのと同じように。

  正義のヒロインは悪を倒すのが「本質」で、コーヒーカップはコーヒーを飲むための道具であるのが「本質」だから、答えは簡単なのです。

 簡単じゃないのは僕ら人間で、なぜ簡単じゃないかと言うと、人間には「本質」というものが曖昧だからです。置かれている立場、行っていること、すべてに於いて偶有性の比率が高く、本質=なんのために存在するの?が明確でない。

   人間ってどういう生き物?の答えが多種多様すぎて、どうあるべきか?でみんな余計な頭を使っちゃうのです。

 正義のヒロインでさえ、コスチュームを着ているから「あ、正義のヒロインだ」とわかるわけで、私服でウンチをしていたらわからないんです。

 例えば「怒りっぽい」とされているA君と「温厚だ」とされているB君が、どっちが怒っているかというと、もしかしたらB君のほうがたくさん怒ってるかも知れないのです。そんなことになるのは、B君が、なるべく怒らないという在り方を選択しているからです。

 もしかしたら「怒りっぽい」A君はウチに帰ったら毎晩泣いているかも知れないのです。A君は、泣き顔は絶対に人に見せないと決めているのです。でも、いっそ「泣き顔」を人に見せたら、もしかしたら、周りのA君を見る目が大きく変わるかも知れません。
 
 毎日なにかに苦しんでいるCさんは、苦しいからと苦しい顔を見せても何も良いことはないと考えて「笑い顔を見せる」「苦しい顔を見せない」を選択したりする。

 毎日笑い転げるくらい楽しくて仕方ないDさんは、でも、遊んでばかりいると思われるのが嫌だから、たま~にあるバッドニュースをSNSにアップして、あえて「悩んでいる顔を見せる」を選択しているのかも知れない。

 会社でなんたら部長という役職をしているEさんは、社外でも、なんたら部長であることを強調して振る舞うか、実はウチに帰ったらめっちゃアニメ好きなオタクであるという意外性を見せて振る舞うかは本人次第。

 「明るいね」と言われているFさんと「あの娘は暗い」と言われているGさんがいると。でも、もしかしたらGさんは北川景子と同じ名前かも知れないです。

 それらを自動制御しているのが「性格」という機能で、それは確かにかなり強固なプログラムです。「そうできないのは性格だから仕方ない」なんてあきらめられちゃうくらいに。それプラス、それぞれの「美学」ですよね、見せ方を左右するのは。

 でも、貴女が彼氏にしか見せない顔ってないですか?いや、あると思うんです。それはきっと魅力的なんです。そのとき無理してますか?きっとしていないんです。

 ただ、そのTPOで、めっちゃ楽に、自然にふるまっているだけなんですよね?

     それでいんじゃないの?て話で、そこまで無理せず、もうちょい自然でいいやんって。

 自分が変わるとか変えるっていうのは、どこを見せるか、どこを見せないか、その選択とギアチェンジだけのことで、いろいろ無理することではないのではないかと、いろいろ無理してる人を見かけると思うのです。理想論だろうけど。

 とりあえずハイボールふたつ!って話っす。

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 なんてことを「脚本ってなにか?」についてボーッと考えていたついでに思ったっす。結局のところ「何を見せるか」「何を見せないか」の選択に過ぎない、という結論に至ったっす。この場合に大事なのは「見せない」ほうです。全部見せちゃったらダメなんす。

▼そのあたり「ここ見せる、ここ見せない」の選択が見事…な映画。
  

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▼そんな話は全然関係ないですが、自分で書いたあらすじを読んで自分でまた号泣した映画。アホですね。

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