神威杏次 official blog

【俳優・映画監督・脚本家 カムイキョウジのモノローグ】

スマホを持たなくても歩きスマホができるようになるお話。

 AR(拡張現実)を検索して適当に読み進んでいたら…。

 なんでもそのうち、例えばすごい技術を持った名医Aさんの脳内データを、遠い場所にいるBさんの脳内に一時的にインストールすると、まるでAさんがBさんに乗り移ったかの如く手術できるようになるとか。つまりBさんのカラダを使ってAさんの技術を活用できると。

 技術や知識あるいは肉体の「貸し借り」ができるようになるってこと?

 そんなんありか。

 そこまでいくと、VRやARでもなく、また違う技術のお話なのでしょうが詳しくは知りません。それらが医療技術として進化するのはおおいに喜ばしいことでしょうけど、絶対それだけじゃ済まないのです。余計なことに使うのです、人間は。

 人工知能と合体したひとが将棋界でトップを取るとか、有名ギタリストの脳内データをインストールしたひとが、その人と同じ見事なギタープレイをしてみせるとか。禁断の実が出回ります。

 カラダにガタが来たら新しくして、自分のデータを再インストールすれば永遠の命を得ることになる。セルフデータの再インストールはマイクロソフトofficeライセンスを更新するようなもの。年間いくら。ついでに遺伝子を書き換えれば美男美女にもなれる。

 やがて、カラダの必要性すらなくなってきて、脳で仮想現実を作って、その中で生きて行けばいいやって話になると完全にSF映画。

 なんでもありか。

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 人間対ロボットの戦争を描いた映画はたくさんありますが、大抵は、「今の人間」と「今のロボット」の戦いになってますよね、姿かたちも、設定も。

 僕は、その前段階として「人間とコンピューターが合体した時代」が挟まるんじゃないかと妄想してます。

 映画を観たらすぐに感化されてしまうような単純な僕には、シンギュラリティ以降の人類の未来はコンピューターとの合体しか考えられませんが、でも、考えてみたら、それはさほど遠いお話ではなく、今でもすでに始まってると思うのです。

 「一日中、スマホを手放せない」

 それはつまり、すでに「自分という人間がスマホと合体して存在しているようなもの。」ですよね。コンタクトレンズと同じで、すでにカラダの一部、なきゃ困るモノになっているなら。

 そのうち本当に合体しそう。

 例えば、小さい器具を耳の後ろに装着するだけで、何も持たなくても視界の中に(目の前の空間上に)求める情報が見える。もちろん共有範囲を設定すれば、共有したい人とだけ共有できる。

 さらに、いっそアタマの中にチップを埋め込んで脳と直結しちゃえとなって、人間がコンピューターの機能を内蔵するようになる。頭で考えるだけでいろいろ検索できたりカーナビになれたり、誰かにメールやラインを送れる。

 スマホを持たなくても歩きスマホができるようになる。これでもうぶつかりません。よかったね。

 そのような技術を開発中の人は「あなたが他人に送る情報は、あなたが送りたいと意図したものだけ。送りたくない情報は送りません。」と言うのでしょうが、そんなにうまく線引きできるでしょうか。
  誰かに「うるせージジイ」って思ったら、きっとそのまま送っちゃうのです。送っちゃいけないと思えば思うほど、送っちゃいそうです。今でもLINEの誤爆とか、Twitterでの問題発言とか、やっちゃってるくらいですから。

 僕らは「できることをやらずに制御する」のが最も苦手なんだ。

 猿か。