ペットショップの前を通ると嫌な気分になる。
人間の都合で、人間に好かれる個体を作るために、無理やりに近親配合されカラダの弱い子が生まれる。カラダが弱いという宿命を背負って一生を生きることがどれほど辛いことか、想像もしない。
人間なら倫理的な問題になることも、言葉をしゃべれない犬猫なら別にいいやってこと。だって儲かるんだもん。
人工知能の研究が嬉々として進んでいる。
あまり好きではない。「これ以上はまずい」という歯止めがどこかで効けばいいのだけど、そこに経済的利益が大きく絡んでくる以上、歯止めが効くとは思えない。
SF映画で描かれているような悲劇の、何パーセントかはきっと本当に起こる。それでもいいのでしょう。だって儲かるから。
シンギュラリティ後、人類は形を変えていくのだろうし、それが人類の未来の姿だと思えば、あとは「それが幸せかどうか」の考え方次第。ただ、それは、非常に人為的で自然に逆らう行為だということ。
地球という星に住まわせてもらいながら、利益や利便性のために自然に逆らい続ける人類。
人間の心って、きっと自然と調和することで保たれるもの。
美しい自然の中に入ると穏やかな気持ちになったり、優しい気持ちになる、それはきっと、人間という生き物に用意された「救い」だったはず。「イライラしたら自然と触れ合って心を落ち着けなさい」とか、「他の動物と触れ合って癒されなさい。」とか、人間を作った神様みたいな人がいるとすれば、人間の愚かさを熟知したうえで、用意されたクスリのようなもの。
それらを軽視し、捨てて、まるで自分たちだけの力で生きているつもりになっている。
この場合の自然というのは、木や森、海などの大自然という意味だけでなく「自然の摂理」すべてのこと、すべての「自然」が人間にとって必要なもの。
無理に異種交配させて毛並みのキレイな犬猫を作り出すことも、人工知能で人間に似た「なにか」を作り出すことも、極めて不自然なことなんだ。
人間の心は、高級レストランのワインで癒されるものではない。本来はね。
ネットリンチや、公開処刑のようなことが日常の風景として行われている昨今、世の中が殺伐としていくのも至極当然の流れ。人類自ら、本来用意された癒し(自然)を捨てているのだから。
人間はもうちょっと「自然に逆らうということ」の意味と覚悟について、考えるべきではないでしょか。いやほんと。
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映画のおはなし。
人間の都合によって生まれた「生命」の悲哀。
自然に憧れながら、狭い檻の中に閉じ込められ、ストレスから暴れてしまうと危険な個体とみなされて殺されそうになる。まるでペットショップの犬猫たちの物語のよう。
「モーガン プロトタイプL-9」)
★あらすじ&レビュー↓