『俺はお前たち人間には信じられない光景を見てきた。オリオン座の近くで炎を上げる戦闘艦。暗黒に沈むタンホイザー・ゲートのそばで瞬くCビーム。そんな記憶も、時と共に消える。雨の中の涙のように。…死期が来た。』
ブレードランナーは「命」の物語だ。
人工知能やレプリカントをあくまで比喩として捉えれば、根底にあるのは、人間、動物、植物…地球上のすべての「命」の物語。
ロイは、4年の寿命に設定されたレプリカント。ただ「生きたい」と願い、自分たちを作った人間たちに寿命を延ばすように要求するが叶わず、その時を迎える。消え去る直前、ロイは、それまで戦っていた人間デッカードの命を救っている。自分の死期を悟ってはじめて、他者の「命」を意識したのだろう。「命」の大切さを痛感し守ったのだろう。その命が誰のものであるかは、この時、彼にとって問題ではない。
冒頭の名セリフの前半は、レプリカントとして危険な任務に従事させられてきたロイの人間への恨み節ではあるけれど、後半では、記憶の無意味さ、消え去る自分自身、消え去る過去の儚さを語っている。
命の儚さの前では、事象、記憶、なにもかもが、束の間の夢に過ぎない。
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動物でも、昆虫でも、植物でも、そこに命がある限り「生きたい」という想いがあるに違いない。理屈や想いではないにしろ、本能的に、生きたいと願っているに違いない。
まだまだ動物実験は行われている。
どこかで誰かが、生きたまま毛皮を剥がれている。
樹齢100年の樹木が、都市開発という名の元に斬り殺される。
人間は、他者から学習する能力を持ち合わせていない。理屈でわかった気にはなっているが、わかっていない。本当のところは、自分が経験するまでは何もわからないんだ。
人類は、一回くらい宇宙人に殺されかけたほうがいい。