「ブレードランナー2049」公開初日に鑑賞。
ネタバレは、事前に読んでも問題ない範囲に収めてはいますが「100%何も知らずに映画を観たい!」という方は読まないでください。
以下、ほぼ旧作についてのお話で、ストーリーや核心部のネタバレは避けていますが、「レプリカントの設定」と「アナ・デ・アルマス演じるVRカノジョ」「音響効果」については触れています。
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なにせあの「ブレードランナー」なのですよ。その続編なら観ないわけにいきません。但し「T2 トレインスポッティング」がきつかったように、5年ほどの間隔での続編ではなく、35年後に作られる続編…は不安も多い。単なるセルフ・オマージュで終わってしまう危険性があるからです。
結果、前作同様、後になって、いろいろ語られ、さんざん考察され、メジャーでありながらカルト的位置づけで、永遠に語られる映画になっていくのは確かでしょう。
前作と同じ「眼のアップ」のオープニングや、ハリソン・フォードが元・彼女の名前を聞かれ「レイチェル…」と答えるシーンなどは、無条件で、瞬間的に、涙が溢れ出た。
帰宅してすぐ「ブレードランナー・ファイナルカット」を全編見直した。翌日(これを書いている2017年10月28日、現在)WOWOWで放送しているファイナルカットもリアルタイム鑑賞中。どんだけブレードランナー好きなんだ。
ただ、個人的に残念な部分は多く、決して賛辞にはできないのが正直なところ。
▲前作のレイチェルさん。
「生きるとは?」「命とは?」のテーマがブレードランナーそのもの。仮面ライダーが改造人間でなくなった時点で別の作品になってしまったように、訴えたい部分が変わってしまうと続編ではなくなる。
その点、その哲学的テーマは普遍(&不変)で、レプリカントの悲哀をメインで描く、正当な続編には違いない。
総合的には素晴らしかったのですよ。ただ、前作が好きすぎて、期待が大きすぎて…。
◆レプリカントの設定
前作、初期型のネクサス6には「4年の寿命」が設定されていました。それはレプリカントに「感情が芽生えてしまう」ため。
感情が芽生えたロイたちが「生きたい」と願い、人間と同じ程度の寿命を求めるというのが前作のメイン・ストーリー。
「どうせ4年…」「彼女の命もどうせ長くない。」という事実があるから、警察はレイチェルを見逃し、デッカードとの逃亡を黙認した。荒廃した、殺伐とした世界に、それでも残る人間の「情」に泣けたのです。
さらに旧型と本物の人間を識別する術が「共感テスト」だった。「人間は共感する生き物である」という前提の元、さまざまな質問を繰り返しながら「共感性の欠如」=レプリカントと判定された。それは原作の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」からある設定。
「大事なのは『共感性』」というテーマにまさに共感できた。
個人的には、そこがまさにブレードランナーなんですよ。決められた運命に従って、意味もなく、ただ死んでいかねばならない悪役・ロイ。彼には、確実に「情」と「共感性」が芽生えていたにも拘わらず、レプリカントであることで、人間じゃないというだけで、生きることが許されない、あの名シーン。
そのテイストが「ごっそり消えた」ことが最も残念。
もちろん「人間だということにどれほどの意味があるのか」「感情があっても、共感性があっても、人間じゃないというだけの理由で殺されるのか」という核心部分は残っているので、ご安心あれですが。
新型のネクサス8には寿命がない。そして、眼球により簡単に判別できるようになっている。それにより、前作の「悲哀」が薄れた感がある。レプリカントの設定と、悲哀のポイントが、単純にわかりにくい。
そして前作の「人間の中にレプリカントが混じっている」設定から、今回は「地球上に残っているのはほとんどレプリカント」になってしまったことで、レプリカントのマイノリティ感が消えてしまった。
そして今回、ライアン・ゴズリング演じる●●●も、最後に●●●なのですが、あれは●●●だからであって、●●●だから●●●ではない。これじゃ意味わからないけど完全ネタバレになるので書けない。
逆にいえば、そこだけなんです。がっかりしたのは。
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◆VRカノジョ
その点、めっちゃわかりやすかったのが、アナ・デ・アルマス演じるVRカノジョのジェニー。なにせVRですから、触ることもできない。ただ空間に映写されているだけ。それでいて「好き」な感情は育っている。単純に「好きなのに触れ合えない」哀しさがわかりやすく、共感しやすくなっている。
そして、そんなジェニーさえ、結局は「商品」でしかない。「幻」でしかない、もはやサイズさえ大きくも小さくもなっちゃうんだぜってところに、ライアン・ゴズリングの悲哀がある。虚しさマックス。ジェニーが生身の女性と重なり合ってライアン・ゴズリングと触れ合うシーンも面白く、アナ・デ・アルマス絡みのエピソードはわかりやすい。
◆「不快」を狙った音響効果
冒頭から「鍋をグツグツ煮込む音」が響きます。その後も「水を飲む音」などの、なんてことない生活音の、音量が必要以上に大きいのです。不快感を感じるほどに。
隣の席の太った男性が、時々、お菓子の袋をガシャガシャいわせて食べる音と、同じくらいにイラつきました。
僕は、不快すぎて、最初は「その音、入れないでいいでしょ」と思っていたのですが、途中から、どうやらそれが(おそらく)狙いであることがわかって納得。
その後も、ことあるごとに、ほとんど驚かせる目的で、突然に大音量が響く箇所が多い。工事現場さながらの不快な効果音などは、意図的に「不快にさせる」「不安な気持ちを煽る」ために入れているのだと思います。
なんでもかんでも「気持ち良くさせる」「楽しい気分にさせる」ことしか考えていない一般的なハリウッド映画よりは、遥かに意志があります。映画を観客に叩きつけている感、挑んでいる感が良いです。
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ひとまずこれくらいにしておきます。
賛否両論ありそうです。面白くない人にはとことん面白くないでしょう。最高!と感じる人には最高でしょう。
またそこがブレードランナーらしい。良くも悪しくも。
観る価値は充分にアリ。
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