神威杏次 official blog

【俳優・映画監督・脚本家 カムイキョウジのモノローグ】

記憶と感情のお話

「早く忘れたほうがいい。」

この場合に忘れるのは「記憶」ではなく「感情」。

 人間には、忘れるという素晴らしい機能がある。悲しみから立ち直れるのも、時間が解決してくれるのも、忘れることができるから。

 ただ、起こった事実を本当に忘れているわけではないですよね。なのに「もう忘れた」といえるのは、忘れたのは感情のほうだから。

 もし、人間のプログラムが、記憶と共に感情まで劣化なく再現される仕様だったら、なにか思い出すたびに当時と同じ悲しみや怒りを感じることになり、めちゃ辛い。
とっくに別れた彼女との記憶を思い出すたびにいちいち好きな感情が復活してたら、かなり面倒くさい。

 つまり、僕らが持っている「忘れる能力」とは「一度は芽生えた感情を消し去る能力」のこと。

 映画や音楽の編集に例えると、映像と音声が別トラックに記録されているのと同じで、記憶と感情も別トラックに記録されていて、そこから音声トラックだけを削除するようなもの。

 映像(事実)は消しようがないので、映像(記憶)を見ても音声(感情)が出てこないように編集する。それが、忘れる能力。

 記憶って曖昧なもの。でも、感情は曖昧ではない。

 記憶は、思い出すたびに少しずつ改ざんされていくという説もあるくらいで、当時の相手の服装の色や交わした言葉が思い出せないなんてことは良くある。

しかし、感情は、忘れようとしない限り、ほぼ正確に覚えてしまっている。
 
 記憶のように都合よく改ざんしながら共生できるものでもないだけに、精神衛生上、覚えているか忘れるかの二者択一を迫られる。

 感情は人間を形成する。

 ひさしぶりに誰かと会って「変わったな」と感じるのは、その人の中の感情が入れ替わっているからだ。人間そのものはそうそう変わらない。
話しているうちに「やっぱり変わってない」と感じたとすれば、それは、忘れていない部分の感情で会話したからだ。あれは楽しかったとか、あの時は嬉しかったとか、忘れる必要のなかった感情が顔を出したということ。

 感情が人間そのものであり、魅力でもあり欠点でもある。

 SNSで、インスタ映えやリア充アピールに「何も(その人の魅力を)感じない」のは、そこに本人の感情が欠落しているからで、言い換えれば、その人そのものが欠落しているから。中身を感じない。
 
 誰もが感情を押し殺した満員の通勤電車、あれって地獄絵図だと思います。感情を消した人間って、無機質で怖い。もちろん、そんなところで感情を爆発させるひとのほうがもっと怖いですが。

ネガティブな感情は、そんなもん一刻も早く忘れてしまうに限りますが、良い感情なら‥、

できるなら、芽生えた感情を忘れずに生きることだ。少しでも長く、忘れないで済むようにいることだ。

 大人なので、感情より優先すべき事項は多々あるでしょう。それでも、できる限り、感情をおそろかにしないことが大事。そう思う。

 たとえ一瞬でも、そこに芽生えた感情が、嘘のない自分自身だから。