神威杏次 official blog

【俳優・映画監督・脚本家 カムイキョウジのモノローグ】

ようやくここまで来た…ところで、ちょいと独り言。

2019年7月1日、9月8日「座・高円寺2」上映会のチケ発。

「やっと、ここまで来たか」というのが感想。

 今年の初頭からずーっとこの映画のことをやってきて、撮影終了からは編集とクラウドファンディングの準備、チケット発売の準備…と、引き続き過密な日々を過ごしています。もうそろそろ、映画も完パケにできそうで、少し落ち着きそうですが。

 そんな中、その合間に呼んでいただいた尼崎の「善と悪のヒーロートークショー」と、翌日のニコ生「超次元電視いと、まほろば」さんへの出演。まるでそこからの流れのように、ひょんな場所でテンマレンジャー(羽村英さん)と再会したり、まるで25年前に戻ったようなイベントが続いたのは、いろんな意味でパワーになり、刺激にもなり、呼んでいただいた三和市場主催の森谷さんや伊井たこすけさん、仲人してくれた望月祐多さん(「ゆう」の字は正しくは「示」「右」)、「いと、まほろば」の髙坂さん…皆さんに感謝しかない。おまけでいうと、YouTubeで無料配信中の「特捜エクシードラフト」で、次回、カルロス東郷の登場回が放送されるとか。なんだか不思議な流れが連鎖中です。僕、そろそろ死ぬんだろうかw ちょっと早い走馬灯か?w

 …さておき、映画のお話。

 で、ニコ生放送でも少し事情は話しましたが、みなさんに言われるのは(映画製作を)「どうしてミニマム(ほぼひとり)でやるの?」ということですが、その理由を全部書くととても長くなるので書きません。機会があればどこかで話すかも知れませんが。

 書かないんかい!ってことですが、書くと10ページくらいになるので書きません。製作の経緯も現場でのことも、あらかたは墓場まで持って行きます。提示するのは結果だけ。

 映画におカネがないという理由も間違いなくありますが、だからほぼ全部を自分でやったわけでもなく頼むスタッフがいないわけでもない。漠然と一言でいえば「実験」あるいは「挑戦」です。また、実験や挑戦の姿勢でやらなければ、この条件で長編映画を撮り切れなかった。

 2018年の短編二本から『あくまで同じスタイルで長編を撮る』のが今回の「ありき」でした。

 ちょっとネタバレになっちゃいますが、劇中、僕自身が演じる私立探偵は最後に「この街でやることがなくなった」と行って街を去っていきます。もちろん、最初からそのつもりで狙って作ったセリフ。「この街」とは「今のスタイル」の比喩です。

 現在のスタイルのカムイ組はこれで最後になるでしょう。来年からの、次のステージや方法論の模索はすでに始まっています。次はちょっと時間をかけて(つまり今から)態勢を作っていく必要もある。ただ、それは水面下のお話。今はまだ、2018&2019の集大成である長編映画を少しでも多くの方に観ていただくことに全力を注ぎます。

 一日限りの上映会で750キャパは「アタマおかしい」です。

 そもそも、この条件で長編を撮ろうという自体「ネジが外れて」ます。

 やっていることは。30年前に「どうやって俳優として世に出ようか」を常に考えて無茶ばかりやってたときと同じ。20年前に、脚本ひとつで、東宝と日活の企画室の壁を破ったときと同じ。行動の根拠は「経験・体験」の中にしかない。

 なにかしらの壁を破るのに必要な精神は、自分の中の、同じ場所にまだあった。