1997年頃、当時33歳の神威は「監督映画の実現」に向けて奔走していました。映画に限らず、自己を発信する方法が多種多様ある現代と違って「プロか素人か」オール・オア・ナッシングの時代、映画を撮りたければ大手映画会社の企画室を正面突破するしか方法がなかった頃、「もう二度とこんなことはできない」と思うほどの熱量で、脚本を持って、各映画会社や製作会社に売り込む作業をしていました。一度は「ほぼ決定」となってから急転直下の企画消滅という「事件」は、僕の心を叩き折るには充分な衝撃で、それは、その後の人生を大きく変える出来事になりました。それ以前の俳優時代も、当然いろんなことがあり、なんだかずっとなにかと戦っていたようで、若気の至りでたくさんの人にご迷惑もかけました。それもれこれも「もういいだろう。」
そこからの15年間ほどの僕の生活状況は、当時、SNSをやっていなかった事もあり、どこにも痕跡はなく、基本、プライベートなことはブログには書かないですし、今後も話す予定はないですが、簡潔に言うと、芸能とは関係のない事業をやっていました(途中、芸能事務所をやろうとしたことはありましたが)。同居のパートナーといれば寂しくはなかったので、あまり大勢の人間と会う機会も作らなかった。ごく少数の、当時を知ってる友達しか知らない時代、がありました。たまにドラマや映画に出ていましたが、それは趣味のようなもの。それ以前とも現在とも「違う人生」でしたね。そりゃいろんなことはありましたが、当面のお金に困ることもなく、むしろ少し贅沢な生活でしたから、今思えば幸せだったと思います。状況も、願う事も、生活スタイルも、全てに於いて別の時代。といっても平穏だったわけではなく、自分の会社を創って最初の頃などは、朝から晩まで、ほぼ寝ないでひとりですべてのことをやるという、まさに今と同じことをやっていました。平穏どころか、もちろんそこは神威ですから、波乱万丈が基本です。とってもおカネ持ちな時代もあれば、そこからまたキツイ生活に戻ったこともある。その波の振幅は客観的に見ても尋常じゃないです。そのあたりのことを詳しく話すことは今後もないと思いますが。さておき…。
で!今、どういうわけか、90年代に戻っているわけです。「二度とこんなことはできない」レベルの熱量を映画に注いでいるわけです。どういうこっちゃ?です。
引き戻されたというか。戻ってきたというか。やはり、三つ子の魂、百までというか。不思議なものです。50歳も過ぎればみなさん少なからず同じようなものでしょうが、今は「さて、何度目の人生だっけ?」状態です。
どうやら、人生って何度もあるみたいです。
何度目かなんてどうでもいいけども、きっと今が最後の人生でしょう。いや、最後ではないかも知れませんが、表の世界に出るのはこの流れが最後でしょう。
遅ればせながら、今の世代の人たちに映画を通して僕がなにを残せるか?なにを伝えられるかわかりませんが、僕ごときが伝えられることは伝えたいと思う。理解してもらえるかは別として。それが誰かの人生にとって役にたつかどうかも別として。
もう少し、爪痕を…。
そして、いつかgood-byです。おそらく、たぶん、それは突然でしょう…。
その時まで。