(前回から続き)
「脚本読みました。面白いと思います、一度、お話を伺いたい。」東宝の担当者の言葉を夢心地に聞いた僕は、俳優Tとともに、東宝本社に向かった。
部長室で、いろんなお話を聞かせていただいた、そして、僕の書いた「JIGSAW」の脚本についてかなり細部に渡っての感想も。それは概ね好意的な内容で「このジグソーパズルの中に人魚が出てくるシーン、僕はかなり好きです。」等、嬉しかった。
しかし、結果的にも客観的にも、東宝さんには、だからといってこの企画を「進めようかどうしようか」という選択肢はなかったように思う。社交辞令も含めて脚本を褒めてもらいつつ、熱意を称えられた後は「でも残念ながら、ウチは三億以下の企画は、そもそも企画会議に挙げられないんです。」と。
でも「アスミックエースさん、行きました?なんなら、僕の名前、出してもらっていいです。」等、温かい言葉をいただくなど、非常に有意義な時間だった。
なにかしらを認めてくれたから時間を作っていただいたのは間違いない。今後の可能性も含め、面通しをしてくれたのだろう。丁寧な対応に感謝すると同時に、大きな自信につながった。
その後も同じ動きを続けた。脚本を読んでくれた会社からは、幸い、かなりの確率で「面白い、話がしたい」と言っていただいたことは、自分の中で財産になった。
▼当時の資料が断片的に自宅に残っている。
そうこうしている間、僕は、二本目の脚本「MOTEL」を書いた。これも大きかった。武器がふたつになっただけでなく、それなりに立派な製作費がかかるアクション物「ジグソー」に加えて、比較的ローバジェットでいけそうな「モーテル」を加えたことで、検討する側にしてもぐんと実現性が高まったのだろう。「この舞台設定なら、これくらいの製作費でもいけるかも。なら…」という見方が加わった。
そこから、いくつかの製作会社に話を聞いていただけた。実をいうと、この頃には残っていた仲間も気力が失せたのか離脱し、僕ひとりの活動になっていたのですが、前記の自信が糧となり僕の身体を動かした。
中でも、かなり具体的に考えていただいのは、ケイエスエスのH女史や、バッドテイストの岩佐陽一さん(岩佐さん、有名人なので実名で…良いですよね)。 岩佐さんは「実は僕、カムイマニアなんですよ(僕のファンという意味)」などと嬉しい事も言ってくれて、かなり前向きに一緒に企画実現に向けて策を練った。結果的に実現に至らなかったのは、両氏の想いに応えるだけの力が僕になかったということでしょう。
そして、ある日「あの」ファックスが届いた。文面を呼んだ時の嬉しさったるや。差出人は日活のプロデューサーY氏。
「『MOTEL』の完成度の高さに感服致しました。是非、実現に向けて社内で調整したいと思います。」
そんな嬉しい書き出しから、ファクスの後半は脚本の改訂提案。そう「提案」です。単なる批評ではなく、あくまで社内で企画を通すための、実際に撮影を行うことを見据えての「ここ改訂お願いします。」という提案。これは嬉しかった。
さっそく、日活本社までY氏に会いに行った。感触は良く「初監督になりますが、神威さんほど現場に出ていれば監督はできるでしょう。脚本・監督カムイさんで押しますね。」と。もちろん監督をやる自信はあった。映画作りのノウハウは、僕がそれまでに俳優として呼んでもらったプロの現場で、100人超の監督、100人超のカメラマンさん…その何倍の数のスタッフの皆さんから、自然に学んでいた。
この時点で「ジグソー」の絵コンテや、仮の香盤表は全編作成していたが、慌てて「モーテル」の絵コンテ作成にかかった。
▼これも一部残存している当時の絵コンテ。今より絵がうまいw
そこから、三日に一度くらいY氏に電話をしては「状況」を聞く日々。そして、ある日、ついに受話器の向こうから、Y氏の弾んだ声が…。
「神威さん!来年のラインナップで2本とも行きます!スタッフを集めておいてください。まずは一般受けしそうなアクション物のジグソーからいきましょう。」
公衆電話ボックスを叩き割るんじゃないかという勢いでガッツポーズをした僕は、きっと相当大きな声で叫んでいたと思う。「よ…よっしゃぁ!!!!」
本当に嬉しかった。これで報われる。これで映画が撮れる!
しかし…結果を先に書くと、僕の映画は、日活内部に於ける大きな動きに巻き込まれ、半ば強引に白紙に戻されることになる。
次回は、その辺の事情を、さしつかえない範囲で、公には初めて書きます…。
(つづく)