「実は、今度、●●さんが日活に入ってくることになりまして…。」
詳しい話は割愛としますが、大筋の流れは以下の通り。
①ある力のあるプロデューサーが日活に入ってくることになった。
②今後、日活内の企画はすべてそのプロデューサーに一任される。
③ここまでに社内で進めていた企画も、一旦はすべて白紙。
それは、Y氏たち「以前からいる人たち」にとっても寝耳に水の話だったようだ。さらに結果的に言うと、その話(大物プロデューサーが日活に来る)自体もなくなったようなのですが(どこにもそのような記録が残っていない)、Y氏が僕にそんな作り話をする必要もないから、きっと本当のことだったと思う。
つまり、僕の映画の企画は「白紙」。
誤解なきように補足すると、その(あらたに社内に入ってくる予定だった)プロデューサーが「悪い」という話では決してない。ただ、僕にとっては良くない話だったということ。
愕然とするなんてものではなかった。絶望…だった。
しかしY氏は、そんな状況の中でも諦めずに頑張ってくれていた。数か月後、「ジグソーとモーテル、2本セットで、最終企画会議(残り3本)に残っています!と吉報が来た。まだ動いてくれていたのか!と少し驚いた。
▼いやだから、いまより全然、絵がうまいW
その結果も…負けたのですが、そこでのひとつの理由として「製作が決まった企画には、一千万円の自己資金があった」「それも大きかった」という話まで聞かせてくれた。
さらに後日談を書くと、ここから半年くらい後だったか、Y氏に連絡をしてみると「結局、あの会議で通った企画も、結局、お蔵入りしちゃったんですよ」とのこと。本当、大手で企画を実現するまでには、そこまでのハードルがあるということ。
どう表現していいかわからないくらい…落ちた。
いまさら俳優一本に復帰する気力もわかず、ここからしばらくは「何もしたくない」メンタルまで落ち込んだ。
今思うと、それでも「絶対やってやる」という気力が残っていれば、それまでに引っかかっていたどこかで、映画を実現する方法はあったと思う。メゲずに頑張れば、きっといけたと思っている。ただ、なにせ、気力が失せてしまった。
そこからは、俳優としての営業も止めたまま、先方から頂いたオファーだけをこなす日々が数年続いた。
実は、またまったく違った作戦で、そのあとも数年は映画実現を目指して動いていたのですが…その辺から話を続けると、僕の「自伝」を長々と書かなきゃいけなくなってくるので、そこはさておき…
どーん!と話が飛んで2018年
「あの頃にやろうとしたことの一端を、どんな小さなバジェットでもいい、なにかしらカタチにしておこう」…そう思ったことが、今年、短編映画を2本撮った理由。
もうすぐ上映会を迎えます。僕が大好きな人たちの前で、僕を好きでいてくれる大切な人たちの前で、小さいながらスクリーンに流せることを…その嬉しさを、心から噛みしめたいと思います。
長文、お読みいただいた方、ありがとうございます。
神威杏次