ここのところ、最低な映画を続けて観ている。
別に、わざわざ最低な映画を選んでいるのではない、たまたま「最低」な映画が何本か続いた。
しかし、同じ「最低」でも、賞賛の意味がこもった「最低」と、ただどうしようもないだけの、本当の意味の「最低」と、最低にも種類がある。
最近観た最低映画その1=『変態村』
「変な村に迷い込んだ男が、村人に監禁され、 オカマは掘られるわ、ボコボコにされるわ、 とにかく酷い目に遭う。」…だけの映画。
「この監督、絶対、アタマがおかしい!」と確信したあたりから(あ、良い意味で。)ストーリーなんてどうでも良くなってきて、ちなみに特典映像の中に短編映画も入っているんだけど、これが本編よりもさらに最低を極めていて、ここまでやるなら拍手しとこ、と思わせる。
とはいえ、全編、不快感を撒き散らし続ける…この映画をわざわざ誰かにお奨めしようとは決して思わない。
それでも、この映画には「歪んだ愛の怖さ」という立派なテーマがあり、最近流行りの主人公が怖い目にあってハラハラするだけの中身のないRPG映画とは一線を画する。グロテスクな映像や、最低の不快感と共に、監督の想いだけはしっかり伝わってくる。
映画は、基本的に「なんでもアリ」だ。
ストーリー展開や結末なんて、表現方法の選択に過ぎない。そこに訴えかけるテーマが存在し、作り手の意思、映画への愛情、が感じられたら、それでいい。
映画とはそういうものだと思う。
それが評価されるかどうか、興行的に成功するかどうか、は別問題。
そんなことを、前にも増して考えるようになったのは、おそらく、この前に「大日本人」を観たせいだと思う。
あれがカンヌで上映され、多くの外国人記者が観たのかと思うと…眩暈がする。作品の出来がどうこうではない、カンヌで上映されてなきゃ何も文句はなかった。
あくまでバラエティの延長線上にある劇場版、「ごっつええ感じ・ザ・ムービー」とでも思えば、素直に「板尾おもろいなー」で済んだ。
カンヌの街には、なぜかデカデカと、日本の有名芸能人の看板が出ていたらしい。
街行く人々は、知らない日本人の顔がアップになっている看板をみあげて、何を思っただろうか?日本の芸能界のパワーハラスメント(?)が、ついに映画の聖地・カンヌにまで侵食したかと思うと…暗い気持ちになる。
カンヌくらいは…商売っ気なしでいいじゃん。
せめてカンヌくらい、永遠に、映画オタクの、映画が本当に好きな人たちの、聖域であって欲しかった…。