1980年前後、当時、中高生だった僕らにとって、「公園の公衆電話ボックス」は特別な場所だった。
当然まだ携帯電話もないし、留守番電話さえ普及したのは1985年頃だから、電話といえばダイヤル式の黒電話、それも、今のように部屋ごとに電話があるなんてまずなくて、家族全員が電話に出ることができる場所、という条件を満たす動線上=家の中心に堂々と置いてある、というイメージ。子機なんて物もまだなかった。
だから、なるべく家族に聞かれたくない会話は、夜の8時ごろに、10円玉をしこたま持って公園へ出かけて公衆電話から、が常だった。
ついでに男友達も誘い出して、公園でタバコなど吸いつつ、公衆電話ボックスを中心にたむろする、なんて光景。
つきあっている彼女やオンナ友達に電話する場合、相手は家の電話だから、まずは家族を通り越さなきゃいけない。「誰が電話に出るか。」ここでまず緊張。
「もしもし…あ、…や、夜分遅く失礼します。
・××子さん、いらっしゃいますでしょうか?」
厳しめのお父さんが出た場合、ドキドキ度は最高潮に達する。
時には「お前、誰や。こんな時間にうちの娘に何の用や?同級生か?名前なんて言うねん?」などと詮索される事もあれば「こんな夜遅くに非常識やろ。」の一言で電話を切られる場合もある。
いや、まだ8時くらいなんすけど。
お母さんが出た場合は、少しホッとして、姉妹が出た場合は、姉妹って声が似てるから、うっかり本人と間違えて思い切り軽い口調で入ってしまうというボーンヘッドをやらかさない限りは安全圏。…などと、まずは本人まで辿り着くだけで一苦労だったもんです。
ただ、そこを通り越して「娘の友達」として認められた後は、「あ、今、お風呂入ってるから、10分くらいしたらまたかけてね。」なんて、相手の母親とも友達感覚になれたりする。
この「儀式」は、中学・高校時代に限らず、19歳で東京へ出てきてから携帯電話が普及する25歳ごろまで普通にあった。だから20代前半におつきあいした女性の場合も、早い段階から、向こうの親や兄弟と声の面識ができたもんです。
今は、自分の娘がどんな男とつきあってるのか?
そもそも彼氏がいるのかいないのか?なんて事さえ、親は目が行き届かなくなってるんでしょうね。昔なら、さっきの話みたいに、男から電話がかかってくるだけで
自動的に行われる通過儀礼…があって、だから親は、娘の周辺にいる人間の質を推測できたり、その相手との会話に耳をすませば、声のトーンや通話時間で判断できた。
「どうやら真剣におつきあいしている人らしい…」などと。
自動的に、段階を踏んで、なんとなく把握することになり、例えそれが当初は親が望む方向じゃなかったにしろ、時間と歴史が味方についてくれて、いずれは親も理解を示す。娘から話を聞かされるまでもなく。自然に。
今はそれがないから、だから、親の側に免疫ができないまま。ある日突然、何かを聞かされて戸惑う。
今の親って大変だろうなって思う。
娘側から話を聞かされない限りは、情報をシャットアウトされちゃったら何もわからないままで、わからないから不安が増大、不安になるから悪い方に考えてしまう、という悪循環。娘を持つ親は疲れるだろうな。
どっちがいいのかはわからんけど、
少くとも昔なら、中学生の娘が電話で援交オヤジに呼び出される、なんて事態は有り得なかったろうし、携帯なんて余計なものがなかった良き時代…と言えるんだろうな、などと。
…あれれ?
「公園の公衆電話ボックスにまつわる懐かしバカ話」を書くつもり
だったのに、ついついえらいマジメな話になっちゃった。
じゃ、次回はバカ話のほうで。
……to be continue