ひょんなことから、
10年前に作・演出で上演した舞台劇の脚本を
大幅に書き直す作業をしていた。
再演したいとの話をいただいたからですが、
まだ企画進行中で、なにがどうなるか?
いろいろ未定なので詳しいことは確定情報が出てから。
ひとまずは…、
単なる再演でなくリメイクにしようと、
ひさしぶりの執筆作業と相成って、
そこであらためて感じたことを。
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実を言うと、10年前の自分の作品と対峙する行為は、
最初はちょっと怖かった。新作を書くほうが気楽。
他の人はどうか知りませんが、僕にとって、
オリジナル作品を書くという作業は、
自分の中のなにかを切り刻んで披露するようなもので、
少なからず、なにかしらの痛みを伴う。
もっと平たくいうと、恥ずかしい。
さらに今回は、
10年前の自分と、現在の自分が、
並んで一緒にパンツ脱ぐようなもので、
当社比で2倍の恥ずかしさ。
そこで、10年前の自分に喧嘩を売られるような予感がして、
少し怖かった。でも、やってみたら、そうでもなかった。
パンツの中身は、さほど変わっていなかった。
懐かしかった感覚といえば、
調子が出てくると、もはや自分で考えなくても、
キャラクターが勝手にペラペラしゃべりだしてくれる。、
そうなったら「シメた!」と思える。
自分の手から勝手に離れていくというか。
あー、あったな~こういう感覚…と。
ちなみに、映画脚本と違って、
主にセリフで構成しなければいけない舞台脚本は本当は好きではない。
どちらかというと、セリフを極力排除し絵に語らせたいのです。
そうすることで、ある程度は観る人の感性に委ねることができる。
そのほうが誤解が少ない。
言葉という、ストレートな表現方法が逆に誤解を生む。
…という変な話ではあるけど…。
それは、僕らの日常だってそうだ。
言葉が、一番、誤解を招きやすい。
猫や犬のように、感情表現だけで接するほうが真意が伝わる。
不思議なもんです。
これからの人生、
なるべく「想い」を大切にしたい。
「想い」で人と接していきたい。
言葉なんて「ありがとう」だけで充分かもね。