「ビヨンド・ザ・マット」というプロレスの裏側を描いた映画がある。
2001年、アメリカ最大のエンターテイメント企業、WWF。
試合前にレスラー同士が打ち合わせをする姿を写し、彼らの日常にスポットを当て、
命がけで戦う男たちとその家族の悲哀を描いたドキュメント。
勝敗は決められていてショーには違いないのだが、
そこで彼らが流す血は本物であり、
そこには徹底的なプロ意識がある事に感動できる。
悪役レスラーのミック・フォーリーが、人気レスラーのロックに殴られ、
血まみれになる姿を観て、泣きじゃくる小さい娘の姿をカメラは追う。
悪役がやられる姿に喜ぶ大勢の観客とは、まるで逆方向を見ているように、
「パパ!」と叫びながら泣きじゃくる。
そこで流れる「STAND BY ME」が心に響く。
試合後、頭に包帯を巻いた彼は、愛する娘を抱き上げて家路に着く。
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そういえば「神威狂児」というギミックもプロレスだった。
ある日、俺は当時のマネージャーK氏との「商品企画会議」で、
突然、髪をオールバックになでつけ、5cm高のブーツに
紙粘土で自作した4cmの底上げを入れ、身長を2メートルにして、
日々、売り込み営業に廻った。
飛び込みで製作会社に行くのだが、ドアの開け方から入り方、
仕草などの演出を、その辺の公園で練習させられた。
当初は、それが嫌で仕方なかった俺はK氏に食ってかかったが、
「お前が芝居できるのも、大学行ってるのも俺が良く知ってるわ。
でも、商品として世の中に出なければ、誰も見てくれないだろうが。」
と一蹴された。
…なんて事を書き始めると、映画の脚本が一本書けてしまうので、
今日はこの辺にしときますが…。
あれは間違いなくプロレスだった。
そして僕は、映画というリングで戦っていた。
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そう、世の中「すべてはプロレス」なんだと思います。
インターネットの普及と、いつかの会社法改正により、
ビジネスだ経営だなんて単語を誰もが恥ずかしげもなく
口にすることができるようになった。
でも、例えハッタリだろうが八百長だろうが、
そこで流す血が本物であれば、やがて真になる。
経験と自信が、人を変える。
ミック・フォーリーは最後に言った。
「もう家族を泣かせるのは嫌だ。」
でも彼はまたリングに上がる。
観客を含む大勢が敵であろうと、
泣いてくれる家族がいれば、彼は最後まで戦える。
どんなリングでも、威勢よく強がって戦えばいい。
でも、リングを降りた時にどこを見ているか。
何のために、誰のために、戦うかが大事だ。
自分のためだけに戦うには…人生は長すぎる。