神威杏次 official blog

【俳優・映画監督・脚本家 カムイキョウジのモノローグ】

シンギュラリティの話

シンギュラリティに関する論点は、もはや起こるか起こらないかの問題ではなく、起こるという前提のもと、それが「人間にとって幸せな未来かどうか。」に移行していく気がする。

シンギュラリティ=人工知能が人間の知能を追い越すといわれている2045年問題のこと。人によっては2029年ともいわれている。あと30年もない。

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 僕は、特に詳しいわけでもなく、理解するほどの知能も持ち合わせていませんが、ただ、体感的に「いやいや絶対に起きるでしょうよ。」と思っています。
 その根拠は「人工知能を制したものが次の世界を制す」とばかり、IT企業のトップどころが、争うように「人類最後の発明」に邁進していること。人類や世界の利益のためでなく企業や国の利益のために進められていること。
 つまり「他より先に開発して優位に立ちたい」という競争原理の元で進められている以上、そこに「人類にとって良いことか悪いことか」の倫理感が、なにかのタイミングですっ飛ばされてしまうことが、割りと容易に起こるであろうこと。
 また、開発を止められない事情から認知バイアスがかかり、これは人類にとって良いことなんだ!明るい未来のためだ!なんて風潮に強引に持っていかれることも明白だから。

 悲観派の警鐘は「SF映画の観すぎだ。」で一蹴される。

 人間の、わずか一瞬の間違いの隙に、人工知能さんが、僕ら人間が何百年かけて培ってきた英知を軽く超える知識や情報を吸収して、一瞬にして神様のような存在になってしまうとしたら。
 その後に起きることを、人間はまったく理解できなくなる。見えないとか気づかないのではなく、すべて見えているのに、目の前で起こっていることの、その意味がわからないという状態になる。これは怖い。

 楽観派は、シンギュラリティは「コンピューターと人類の共存」とし、明るい未来を予想しているけども、現在、僕ら人間が、自分たちより遥かに知能の低い動物たちにどう接しているか?
 人間は、犬や猫を愛玩動物として飼っていて、それをもって「犬や猫と共存共生している」と言う人もいる。ただ、それは「ある個体の人間と、ある個体のペット」の間の話で、大きな視点では、生活に害を及ぼすと判断した犬猫は殺して数を調整しているし、野良猫が過ごしやすい環境を作ろう!なんて施策が行われるわけもない。
 要は、自分たちに都合のよいように扱っているだけ。「種としての」犬猫にとって、それが幸せと言えるのかどうかは甚だ疑問。

 人工知能が、自分より遥かに知能の低い人間に対してどうふるまうか?

 すぐに想像がつくのは「身体」は無駄なモノと判断されて、脳と脳内データだけにされるだろう。これまたSF映画で使い古された設定ではあるけども。実際、プレ・シンギュラリティの段階で、人間の脳をデータ化して他のモノにインストールできるようになると言われている。そして、それが、人工知能と人間の融合が、人間にとって「永遠の命を得る劇的な進化」なんだと。

 人間が、人間のカラダを捨てて機械と同化するという意味。
いや、案外、それも幸せかも知れない?と、ちょっと思うけども。それが2045年以降の人間の姿だといわれたら、あーそうなのかと思うけども。

 なんにしろ、地球の支配者の座をコンピューターに譲るのは既定路線だ。

 最終的には、知能が宇宙に出て行って新しい宇宙を作って…云々…みたいな話になると、もう僕のアタマでは完全に着いていけなくなります。

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 実は映画「オートマタ」の話を書こうと思ったのです。シンギュラリティを題材にした映画。前降りだけで結構な文字数になってしまったので次回。



「オートマタ」2016

賛否両論だと思うけど、僕は好みです。
歳をくったアントニオ・バンデラス主演。