神威杏次 official blog

【俳優・映画監督・脚本家 カムイキョウジのモノローグ】

人は本当に人のフリみて我がフリ直しているのだろうか

    人間には学習能力がある。…あるのだけど。

 そもそも学習できるのは「自身の経験から」だけで、実は、他人のフリ見て自分のフリを直してなんかいないじゃないの?ってお話。

 他者から学べるくらいなら、人類はとっくにもっと成熟した大人の集団になっていなきゃおかしい。毎年、毎日、毎時間、「やっちゃいけない人のフリ」を見続けているんだから。いつまでたっても同じような事件が起こり同じような人たちが同じような失敗を繰り返している。

 我がフリ直してない、としか考えられない。

  わかりやすく、いま話題の某俳優さんの奥様の例で考えてみます。

 奥様のあの異常な動画を見て、ほぼすべての人が「信じられない、あり得ない。」と感想を述べています。でも、世の中には奥様とまったく同じ性格で、まったく同じ行動をとるタイプの人がいるはずなんです。じゃ、そんな「奥様2号」さんが、あの動画を見てどう思っているか。きっとこう言ってます。「信じられない、あり得ない」と。同じなんですね、他の人と。

 なぜそうなっちゃうかというと、本質を見ていないから。

 「①サスペンス調のセリフが怖い」「②旦那のプライバシーや名誉棄損になる事項を世間に暴露した」のは、事実ですが本質ではない。
 本質は、奥様が「③自分の考える正義がすべて正しい、正義なら何をしてもいい、だから私は何をしてもいい」と思っていることです。

 「私は①や②は絶対にしないぞ。」と気をつけても意味がなく「③は良くない。③のような考えは改めよう」と思って初めて反面教師になります。だから奥様2号さんは、③を改めない限り、なにかの折に今度は自分が③をやっちゃうんです。①と②が別の方法になるだけです。

 まったく我がフリ直ってません

 思うに、人の失敗をみて「あんなことをしてはいけないんだな。」と反面教師にしているのは、元々「あんなこと」をしない人たち。「あんなこと」がみっともない、良くない、ということわかっているから、反面教師にできる。

 肝心の、我がフリ直す必要のある人…同じ問題のある人には、反面教師の声なんて聞こえてないのです。だって「あんなこと」が良くないとは思ってないから。

  「これはみっともない」「これって良くない」という感覚って人それぞれにある「美学」。それ自体は大事なことで、それぞれが持つべきものではある。

 ただ、本気で人のフリみて我がフリを直すには、そんな自分の美学(=基本的思考)さえ、疑ってかかるくらいの思い切りが必要なのでしょう。
 
 SNSの使い方も、ほんと人それぞれにありますが…。

 たとえば僕が書いてるこのブログ。「カッコ悪い」「みっともない」と思っている人はそりゃいるでしょう。「神威、自分のことは棚にあげて、また偉そうな文章書いてるな。やめりゃいいのに。」くらい思うのです。僕はカッコ悪いとは思わないから書く。カッコ悪いと思う人は最初からブログなんてやらない。

 たとえば診断アプリ。あれは、僕は絶対にやらないけど、やる人は毎日のようにやってはSNSにシェアしてる。なぜやらないかというと、やっている人をみて「やらなきゃいいのに。」と思うから。その理由は書くと長くなるので書きませんが。
 同じ感覚の人は最初からやらない。そうじゃない人は、他人がやっているのを見てもみっともないと思わない。だから自分もやる。

 数年前に流行った「バケツチャレンジ」にしても、違和感がある人は、嬉々としてやっている人を見て「あれはやっちゃいけない」と反面教師にするのですが、そもそも違和感を感じない人は、他人がやっているのを見ても何も思わない。何も思わないから、反面教師として機能しない。

 SNS上に限らず、すべて同じ法則。

 他人の行動を反面教師にできるのは、最初から違和感を感じている部分。そもそも我がフリ直す必要がない箇所だということ。

 本当に我がフリ直す必要がある「自分のダメな部分」に対して、僕らは見事に鈍感だ。 

 おおいなる自戒をこめて。