状況が悪を作る。性格や人格は関係ない。
与えられた状況によって誰もが悪魔化する可能性を秘めている。どんな状況でも「自分自身」でいることがいかに難しいか。
僕らは、常に、自分が邪悪にならないように努力し続ける必要がある。
スタンフォード監獄実験
『人間の行動は、性格(温和、攻撃的、優柔不断…等)ではなく、与えられた立場や状況によって決まる。』を証明した実験。
詳しい流れはこちら↓
似たような実験に「ミルグラム実験」もあります。
『人間は、権力のある人からの指示で、かつ、その結果責任を負わないで良いことを保障された状況では、どんな残虐なこともできてしまう』を証明した実験。
並んで、史上最も悪質な人体実験だったと言われています。
どんな人間でも、状況によりいとも簡単に悪魔化する。だとしたら、僕らが普段認識している「人格」「性格」って、そもそもなんなんだ?ということになる。いざとなったら意味をなさない人格…に何の意味があるのか?ということ。
これらはなにも特殊な世界のことではなく、僕らの身近に、思い切り思い当たるフシがありますよね?きっと。
そこで問題になるのは、状況によって罪を犯した人間がいるとして、その責任の所在。実際に手を下した人間の罪なのか?そんな状況を作った人間の罪なのか?
それは「アブグレイブ刑務所、捕虜虐待事件」という、スタンフォードと酷似した状況で起こった虐待事件でも、物議をかもしたらしいです。非難されたアメリカ政府は「虐待を指示した事実はない。職員が勝手にやったこと」と罪を逃れ、実際に手をくだした人たちが軒並み有罪判決を受けた。「そうなるように仕向けたんじゃないか!」と主張する人もいる。
「状況論」は正しい。状況によって、人間の性格や人格なんて簡単にすっ飛んでしまう…その怖さは確実にある。
それはある、あるとして、じゃ、そこで僕らに必要なのは『たとえどんな状況でも、自分は自分でいる』という強い気持ち…か、う~ん、なかなか難しいことですがね。
◆「スタンフォード監獄実験」を、ほぼそのまま再現ドラマにした『プリズン・エクスペリメント』という映画があります。興味のある方はこの映画を観れば、そのなんたるかがわかります。このブログと内容が重複しますが、映画ブログに書いた記事です↓