神威杏次 official blog

【俳優・映画監督・脚本家 カムイキョウジのモノローグ】

【復刻版】『あの狂気の裏には…特捜エクシードラフト撮影秘話』

 以下は、2000年頃、俳優・現役時代の神威がHPに書いた記事です。以後、特撮ファンの方が各所でこの記事について言及してくださっているのは知っていましたが、いつしか、HPリニューアルのタイミングで消していました。最近、この記事がwikipedia「特捜エクシードラフト」内で出典元になっているとある人に聞かされ「出典元なのに消えてちゃまずいよね」となり、古いパソコンから元記事のhtmlファイルを引っ張り出しつつ、オフィシャルサイト内と当ブログ内に「復刻」しておこうと思い立った次第です。

 文調や言葉のチョイスは今となってはこっぱずかしい部分も多々ありますが、あえて当時の原文ママ、転載しておきます。

 ちなみにそう聞かされて確認したWIKIの記事は以下です。

カルロス東郷

東郷を演じた神威は、初登場である第19話-第20話にて、撮影のクランクイン直前に胃潰瘍を患い胃の内部での出血で貧血状態にあったが、絶対安静のドクターストップを振りきり、現場では病状を隠して撮影に臨んでいた[12]

wikipedia「特捜エクシードラフト」

 

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『あの狂気の裏には…特捜エクシードラフト撮影秘話』

 世の中には、本当に奇妙な運の巡りあわせがある。あの時、もしこうだったら…人生が変わっていたかも?なんて事は誰にでもあるだろうが、そんな出来事が、俳優として活動をはじめた矢先に起こった。そして、同時に、少し大袈裟に言うならば「神の存在」なんてことを、少しだけ・・ほんの少しだけ意識させられた出来事でもあった。

 1992年晩春

 事は「裏刑事」というテレビドラマの撮影現場で起こった。撮影最終日の最終シーンを撮り終え、スタッフが撤収に追われている頃、俺はトイレの中で、コールタールのように真っ黒な便を目の前に顔面蒼白になっていた。下血…この症状は、数年前に一度やっており、その原因もわかっていた。

 数年前、元は軽い胃潰瘍なのだが、運の悪いことに潰瘍が動脈を直撃したために胃から大量の出血、極度の貧血で倒れ、そのまま入院したことがあったのだ。その時と同じ、まったく同じ状態。緊急に輸血が必要なことも、またしばらく入院生活を強いられる事もわかっていた。「やられたっ!」

 なにもこんな時に・・ようやく順調に仕事が入りはじめ、この「裏刑事」でもイイ役で抜擢してもらった。次の仕事も決まっている。順風が吹き始めたかに思え、やる気まんまんの真っ最中。

 幸い「裏刑事」の撮影シーンはすべて終わっている。ここはどうにか、何事もなかったように現場を後にするのが先決だ。ロケバスの中で私服に着替えつつ、主演の藤竜也さんと談笑している時も、背中には冷や汗が大量に流れていた。「おつかれさまでした!」と、明るく現場を後にした俺は、そのままタクシーの中に倒れこみ、病院に直行した。  

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 次の仕事は「特捜エクシードラフト」・・・東映テレビの特撮モノだ。「これじゃできない。降りた方が無難か?でも、もう衣装合わせも終わって、撮影は6日後だ。まずいなぁ。」緊急輸血をしながら途方に暮れている時、連絡を受けたマネージャーが到着した。当時のマネージャー・K氏だ。

 k氏は俺をこの業界に導いてくれた恩人であり、当時、二人三脚で営業に走りまわっていた。この人に関しては別の機会に書こうと思うが、とにかく、カルロス東郷もビックリの「狂気の人」でもあった。後々、「あの時、ベッドを蹴飛ばして「神威!なにやってんだ。こんなところで寝てる場合じゃないだろ!」と言おうかと思った。」と述懐していた。なんて人だ。普段は常識外れの発想で俺を叱咤激励するk氏も、さすがにこの時はかける言葉がなかったようだ。「どうする?」正直、どうしたい、と聞かれたら、そりゃあ降りたかった。こんな体で現場に出るなんて不可能だ。現場でブッ倒れて、いろんな人に迷惑をかけるのは明白。なにせ、立つこともできない状態。撮影までの6日間輸血を繰り返せば少しは回復に向かうだろうが、それでも、とてもハードなアクションシーンなどできるはずもない。常識的には「降りる」しかないだろう。それに、ゲスト主演とはいえ、世間的に見れば「しょせん子供向けの特撮モノ」という考えも当時はあった。事情が事情だけに、たとえ降りたところでたいした問題ではないだろう。

 しかし、なぜか、俺もK氏も「降りる」という言葉を口にしなかった。今思えば「なぜ、そんなにこの役にこだわったのか?」が自分でもわからない。今なら、いや、この数年後の俺でも、間違いなく「できるはずないでしょ。降り!」とアッサリ結論を出すことだろう。我ながら、この頃の俺は熱かった。そして無茶だった。

 「GO!」ほとんどヤケクソ気味に開き直った決断。現場でどうにもならなくなったなら、その時はその時だ、なるようになるだろうくらいの心境。

 ただもうひとつ、大きな問題があった。よく考えたら(良く考えんでも)俺は今、病院に入院してる身。現場へ出るには主治医の許可を得て「外出届」を出さねばならない。

 主治医に事情を説明するや、これ以上ないというくらいに呆れた顔をされて「冗談でしょう?」あらためて、この時点での体の状態を説明された。「今、アナタには人間が普通に生きるために最低限必要な血液成分が、通常の2分の1しかない。少しずつ出血したから、体が慣れて、今こうして話もできてるけど。仮に、突然普通の人がその状態になったとしたら、ショック死してもオカシクないくらいの極限状態なんですよ。」「・・・・・。」それでも、なんとかして欲しいと懇願した末「じゃ、当日までに最善の努力はしましょう。それでも一定以上回復しなければ、許可は出せません。」

 こうなりゃ仕方ない。俺は最悪の「撮影当日ドタキャン」まで覚悟して、ハラたつくらい妙にのどかな病室のベッドに倒れこんだ。完全な絶食、点滴だけで数日を過ごし、連日の輸血それさえ「こんなに輸血をしたら、後々腎臓にも負担がかかる。いい加減限界の量」だったけど、俺は「とにかく血を入れてください。動けるようにしてください。」と懇願し続けた。

 当日の朝、3時に起きて検査・・・なんとか、立って歩けるようにはなっている。でも、少し歩くとすぐに目眩がして座り込むくらいの状態。主治医の先生もかなり苦渋の表情。「いや、こんな事を言うのもなんですが、アナタに外出許可を出して、それでもしもの事があったら、私の医師免許が剥奪になるんですよ。」それは知ってる。医師にしても、他人のわがままを聞いてやったがために職を失ったりしたらメも当てられんだろう。言ってる意味は良くわかる。「・・・どうしても行きたいんですよねぇ?」「はい。」
 
 撮影シーンの説明と、ロケ場所の地図を見せながらの相談だったが、幸い、初日の撮影現場は都内の比較的近い場所。「なら、最悪の場合、救急治療も間に合いそうだ。もしもの場合の準備を整えて待機してましょう。」・・なんとかOKが出た。もし、初日の現場が郊外の場所だったら、この時点でOUTだった。

 しかし、結果的には、俺の熱意に押された形の主治医の先生のこの判断は、やはり「甘かった」という事になる。それはまた後述。                          ” 
 なんとか主治医の先生をダマくらかし・・もとい、許可を得た俺は、今一度点滴を受け、病院を出た。事前に友達に用意してもらっていた原付バイクまでたどりついた俺は、ほとんどタレパンダ状態でバイクにしがみついた。移動にバイクを選んだのは、現場で何があっても、とにかく自力で帰ってこれるアシが必要だったからだ。もし現場で動けなくなった場合、タクシーならまだしも、間違って救急車でも呼ばれた日にゃあ、二度と外出許可は出ないだろう。なんとしても「自力で帰ってきた」という事実が必要だった。幸いシートに座っている分には目眩を起こさないで済むだろうし。                                ” 
 この先、どんな結果が待ちうけているのか?想像もつかなかったし、それ以前に、想像する元気もなかった。とにもかくにも目の前のことしか考えられない状態。まずは無事に現場に着くことしか頭になかった。

 そんな中、あらためて「どうして、そこまでしてこの仕事に行く必要があるんだろう?」という自問自答が脳裏をかすめる。それは「自分でもわからない。」なのだ。(その答えがおぼろげながらも見えてきたのは、この時点から数年が経過してからの事だった。この時点では知る由もない)

 頭の中は真っ白・・・ただ無心でバイクのアクセルを廻した。

 

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    ”
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「特捜エクシードラフト」での俺の役は「カルロス東郷」という宇宙生命体なのだが、幸いだったのは、セリフはやたら喋るのだが、その分、特にハードなアクションシーンがなかったことだ。顔の表情や上半身のパフォーマンスがメインだから助かった。    ’

 初日の撮影は何事もなく終わった。その後、また病院に舞い戻り、点滴を受けて血液検査、特に悪化はしていない。「よし、なんとかなりそうだ。」

 2日目・・・朝3時に起きて点滴→現場→病院に戻って点滴・・・初日と同じパターンで、これも無事に終えた。主治医の先生も、当初の苦渋の表情からいくぶん柔和な表情に変わっている。撮影現場でも、この事は誰にも話してない。それでも普段と同じように元気に振舞うのは不可能だから「風邪気味で、少し熱があって・・・。」という事にしてある。それでもスタッフは気を使ってくれて、合間にはなるべく座って休めるように配慮してくれる。ありがたい。

 明日の3日目さえ無事にクリアーすれば、そこから5日間はオフになっていた。ちょうどゴールデンウィークに突入するのだ。5日空いて、また4日間続く撮影スケジュールになっている。

 よし!5日あれば、体調は更に回復に向かうはずだ。明日の3日目も、同じようにクリアーすれば、この現場も問題なく終われるはず。次の仕事は入れてないから、これでしばらく静養できる。そう「あと一日だけ…」無事に終われば。

 

 事件は、その3日目に起こってしまった。

 

 初日・2日目と無事にこなしたとはいえ「倒れてたまるか」という緊張感がその原動力であり、実際の身体は、やはり限界点を越えていたのだろう。ツライ・・あきらかに昨日よりもツライ。ついに俺は、ライフルをかまえた姿勢で照明をあわせてもらっている最中、その態勢のままその場に崩れ落ちた!・・らしい。・・目の前は真っ白・・・大勢の人間が騒ぐ声が聞こえる・・・

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 しばらくの間、意識がなかった。気がつくと、俺はスタッフに囲まれ身を起こしていた。「どうした?」「大丈夫か?」・・「ええ、大丈夫です。」(なわけない。)観念して、事情を話した。そんな状態だから、スタッフも、そりゃあその場であまりキツイ事も言えないだろう。でも、撮影も終わらせなきゃならない。「勘弁してくれよ」が本音だろう。体調の自己管理は俳優の義務だ。俺は俳優として失格ということになる。案の定、プロデューサーは俺のマネージャー・k氏に電話を入れ、「入院してるなんて聞いてないぞ!どういう事だ!」と声を荒げた。俺はといえば、とにかく今日の撮影シーンをなんとか撮り終えることしか考えてなかった。誰にどう言われようが、今後の仕事がどうなろうが、そんな事はもうどうでもよかった。ただ、こんな体調で現場に出てきた責任だけは、なんとしても果たしたかった。「休み休みやってもらっていいですか?なら、やれます!やらせてください。」その後、何シーンかを撮ったのは覚えているが、予定通りに撮り終えたのか?それとも、俺のシーンを後日まわしにしたのか、そんな事情さえ聞く余裕もなかったが、とにもかくにもその日の撮影は終わった。    ’

 病状は完全に悪化した。

 惨めな姿で病院に帰還した俺は、カルロス東郷のメイクをしたまま、緊急輸血を受けた。(メイクを落とす力もなかった)。一度は止まっていた胃からの出血が再び起きていた。血液成分はさらに低下し、顔面蒼白、歯ぐきやマブタの裏をめくっても一切の血管が見えなくなっていた。ドラキュラの役なら、このままノーメイクでできそうだ。無理をしたために、入院当初よりも悪化してしまった。ここから5日間のオフの間、大量の成分輸血を繰り返し、当面、なんとか立って歩ける程度には回復したが、血液内の成分はまだまだ絶対必要量に達してはいない。「絶対安静!」主治医の言葉がやたら冷たく感じた。

 明日から、再び4日間の撮影が始まる、という日。俺は、前回と同じく「外出許可」を申請した。主治医の判断は、当然のごとく「絶対ダメ」・・・「今は、薬で出血を止めてるが、もしまた現場で出血したら・・今度こそは命の保証はできませんよ。」・・おおっ、ドラマで聞くようなセリフだっ、なんて感激している場合じゃない。「命の保証はできない」この歳(当時27歳)で、医者にこんなセリフを言われるとは思ってなかった。「前にも言ったけど、君だけの問題じゃない。そうなったら、許可を出した私も、医師免許を剥奪されるんだ。どうしてもというなら・・・自主退院してからにしてくれ。」’

 自主退院・・つまり、「医師の判断を振り切って自分の意思で退院する」つまり「その先どうなろうが、すべての責任は自分にある。」と誓約するのと同じ事。

 「…わかりました。」

 その夜、「自主退院」した俺は、フラフラする体をひきずり、ひさしぶりに自宅に戻った。「なにやってんだ・・・俺。」あらためて思ったが、考えるのはヤメた。とにかく、すべて終わってから考えよう。ベッドに倒れこむと、いろんな事が頭に浮かんだ。意味もわからず涙が込み上げた。  ’

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 次の日から4日間の撮影は恐怖だった。いつ倒れるかわからない・・自分をだましだまし、なんとか仕事をこなした。余計なことに気を使わなきゃいけないスタッフも大変だったろう。何度か、背中に冷や汗が流れる局面はあったものの、幸い、大きな事故には至らず、計7日間の撮影は無事(?)に終わった。メイクを落とし、迷惑をかけたスタッフに挨拶をし、現場を後にした俺は、大きく深呼吸をして、空に向けて手をあわせた。感謝・・の一言。

そして・・・

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 すべての撮影がようやく終わり、俺は、その足で病院に向かった。

 幸い、自主退院して現場に出た4日間、病状の悪化はなかった。後は、再入院してしぱらく静養することだ。「終わりました。またよろしくお願いします。」俺の顔を見た主治医の先生は、なんとも言えない安堵の表情を見せた。

 「みんな楽しみにしてるから放送日を教えてよ。」

 ほぼ完治に向かい、退院が決まった日だった。「看護婦の子たちも楽しみにしてる。」社交辞令かとも思ったが、どうやら本当に放送をわざわざビデオに撮って、看護婦さんや婦長さんも、みんなで観てくれたらしい。数ヶ月後、外来で検査に行った時には、「キョーコちゃん(看護婦さんの名前)が、サインを欲しがってる。ナース室に飾っとくんだってさ。」・・・神威狂児の最初のサインは、さんざん世話になった看護婦さんだった。あのサイン・・・もしかして、今でも持っててくれてるのだろうか?

 そして・・・ここから、「どうしてそこまでして、この役をやる必要があったのか?」という疑問に対する答えらしきモノが、まったく想像してなかった形で、おぼろげながらも見えてくる。俺自身、意地で撮影をこなしたものの、だからといって「この役をやってこの先どうなって・・」なんてことはまったく考えていなかった。むしろ、内心「これで東映からは仕事はこないな。」くらいに思っていた。体調管理は俳優の義務だ。それを怠った俺は、俳優失格の烙印を押されても文句はいえない。そう思っていた。少なくとも、この役が、俳優としてのキャリアに影響するなどとは思ってもいなかった。         ’
 放送から数ヶ月後・・・ある人づてに「神威の出た回・・すこぶる評判がいいらしいぞ。」という情報が入ってきた。一回目の放送を見たある業界関係者は、俺の友達に「来週、絶対見ろよ。なんかスゴイ役者が出てるから。」と言ってくれたらしい(友達は、放送を見て、それが俺のことだと知って後日電話をくれた)。嬉しかった。そして、後々、続編が作られ、カルロス東郷は、準レギュラー的な役に昇格した。さんざん迷惑をかけ「もう二度と呼ばれれないだろうな」と思っていた現場に再度呼んでくれたこと自体、ありがたいことだったが、監督のの三ツ村氏や東映のスタッフが、その後の作品にも、たびたび俺の役を作ってくれた。芝居に対する評価というよりも、あの体で現場で頑張った俺に対する「よくやった」的な恩情だったのかも知れない。頑張ってよかった・・・本当に嬉しかった。

 自分でも、決してウマイ芝居だとは思わない。むしろドヘタだ。しかし、あの時のパワーは、芝居の巧拙ではなく、体全体から発散するパワーだけは、我ながら「尋常じゃなかった」と思う。あの狂気の眼光、あの攻撃的な芝居は、のちのち、自分で真似しようと思ってもできなかった・・(あかんやん)。白状してしまうと、それは、俺自身が意図したものだけでなく、偶然の副産物でもあったのだ。ほとんどブチ切れの精神状態、「なんとでもなれ!」の開き直り、そんな、当時の精神状態が生んだ副産物だ。実際、何カットかはほとんど「見えてない」・・目の前が真っ白だったからだ。

 そう・・・カルロス東郷は、ある意味では、本当に普通の人間じゃなかったわけだ。なんせ、血液成分が人間の2分の1・・・・マジに「冷血」だったのだから。

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 なにはともあれ・・・

 その後、俺は東映テレビのレギュラー・ゲストになった。。毎年新しくなる特撮作品にはもれなく呼んでくれ、そうこうしているうちに、特撮の世界では少なからず名前が浸透してきた。「B-CLUB」「宇宙船」などの雑誌が取り上げてくれ、その雑誌を通じて、ファンレターをもらったり、似顔絵を書いて送ってくれるファンもいた。俺の知らないところで、俺のことを応援してくれてる人もいる。ありがたい。そんな、テレビで売れている俳優やタレントにすればごく当たり前の事も、かけだしの三流俳優・神威には限りなく励みになった。


 やがて、特撮系だけでなく、一般の映画やVシネマの監督やスタッフの中にも、特撮モノでの俺を見て、声をかけてくれる人たちも増えてきた。特撮界は、いつのまにか、「故郷」になり、カルロス東郷は「原点」と呼べる役になった。もし、はじめ段階でこの役を降りていたら・・神威のキャリアにカルロス東郷がなければ・・俺の俳優としての軌道は、かなり違ったものになっていたはずだ。       ’

 
 思えば、自分でもわからなかった「なにか」とは、このことなのではないか?
そう・・世間的には大したことのない仕事かも知れないが、それが後の俺にとって、限りなく意味のある仕事になることを、どこかの神様が俺に教えてくれていたのかも知れない。

 それが、前髪しかないという「チャンスの神様」なのかは、まだわからない。もしかしたら、後々「俳優なんて、あの時点でやめときゃよかったんだ」なんて事になったら、それは「余計なことをする神様」だった、ということになってしまうが・・。

「なにがどうなるかわからない。目の前の事に全力を尽くせ。」
 この世界に入って、最初に実感した教訓だった。


執筆:2000年

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