神威杏次 official blog

【俳優・映画監督・脚本家 カムイキョウジのモノローグ】

「恋愛モノ」のポテンシャル

朝、時計代わりにつけているテレビのワイドショーで、某・有名人夫婦の別居・離婚の話題が耳に入った。絵に描いたような別れ際の男と女の性質の違い、典型的すぎて凄いですね。

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そうと決めたら切り替えの早い女と、どこまでもロマンティックな男。ちょっと言葉をひどくすると、いざとなったらなりふり構わない女と、目の前の現実を見ようとしない男(自分で書いておきながら耳が痛い)。

 

他人事なら冷静に見れるのに、いざ自分のこととなると、大抵がこの構図にハマってしまう。なんなんでしょう。あの時のあの感じって。

 

そこで、とっさに2つの恋愛映画を思い出した。あ、破局映画か。

 

 

 

「ブルーバレンタイン」2010年アメリカ

「ふたりの5つの別れ路」2003年フランス

 

この2つの映画は非常にテイストが似ていて、僕は両方とも大好きな映画なのですが、誰かが不治の病になるわけでもない、特に物凄いエピソードが出てくるわけでもない。ただ、淡々と、男女の出会いと別れを描いている。それだけで充分に魅せてくれる秀作です。

 

そもそも恋愛映画…いや、映画じゃなくても、男と女のイロコイ話って、基本ポテンシャルが違う。大抵、余計なものがないほうが名作になります。

 

「ふたりの~」は、時間軸を完全に逆行させて、まず最初に別れのシーンから始まり、どんどん、二人の出会いに向けてシーンがさかのぼっていく。この手法は凄い。単純だけどめっちゃすごい。

 

そして「ブルーバレンタイン」

 

こちらは、ラブラブな頃とボロボロな頃を併行して見せて行く、ダメ男&ダメ女のダメダメ物語。主演・ライアン・ゴズリングの最後の後ろ姿が、切なさ満開で良いです。

 

あくまでもやり直そうとする男は、そのためにあれこれ考えて、いろんな行動を起こすのですが、もはや効果ゼロどころかマイナスの幅を広げるだけ。なぜダメなのか、周りも観客もわかっているのに、当の本人だけが何もわかっていない(ように見える)ところが憎めない。…いやきっと本当は、本人が一番わかっているんだけど。

 

かたや、元は大好きだった彼の中の要素まで、別れると決めた瞬間からもう生理的に嫌い!ってレベルまで脳内変化してしまっている女。ひどいようだが、本気で別れるには、自己暗示をかけてでも、ここまで徹底して嫌いにならなきゃ別れられないことを知っているのかも知れない。

 

ネットのレビューを読んでも、男女によって観る人によって、どっちに肩入れするか意見が別れている模様。ここは賛否両論でしょう。たぶん「どっちもどっち」なのでしょうが。

 

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結局、男と女のことなんて当人同士にしかわからない。

 

それは、これだけ丁寧に映画にして観せてもらっても、同じこと。第三者は、ただ事象で判断するしかないのだから。そこに介在する「二人だけのなにか」までは見えない。

 

「なにか」…周波数…のようなもので、それは、当の本人たちにさえ読めない、この先どうなるか、わからない類のもの。

つまり、男と女の関係には、完全なミステリーの要素が、基本的に備わっている。

 

恋愛映画が、物語としてポテンシャルが高いと感じるのは、そういう事なのだと思うのです。